沖縄の恵みと野球の精神
茂木健一郎(脳科学者)
あれはいつのことだったか、那覇空港でお寿司を食べたことがあった。確か、東京に戻る前に少し時間が空いたのだと思う。
ターミナルの中にあるその店は風格があって、私はテーブル席に座った。
カウンターには、何人かのおじさまたちがいらして、かなり存在感があった。皆、体つきが何とはなしに大きくて、それなりのお年なのだけれども、筋肉ががっちり締まっている。
盛り上がっていらして、そのうちの一人のお顔がちらりと見えて、おやと思った。元プロ野球選手の金田正一さんである。周りを見たら、全員有名な元選手たちである。それで、ああと思った。
通算200勝、250セーブ、あるいは2000本安打を基準とするプロ野球の卓越したプレイヤーのOB会、「日本プロ野球名球会」の会合だったのだ。
名球会の方々は時々沖縄にいらしているようだけれども、それだけ沖縄とプロ野球は縁が深い。
私は那覇に泊まった時には、朝、奥武山公園の方にランニングに出かける。公園内にある沖縄セルラースタジアム那覇は、巨人のキャンプ地である。
一度、ちょうどキャンプをしている時に走り抜けたことがあった。ファンがフェンスの周りにたくさんいて、楽しそうに見ている。時折、選手たちに声をかけてゆったりとした時間を過ごしている。
嘉手納で仕事があった時、那覇からずっと国道58号線を歩いていったことがあった。相手の方にあきれられたが、もの好きなのだから仕方がない。
北谷公園の中にある野球場の横を歩いていたら、「中日ドラゴンズようこそ」という横断幕があった。季節になったら、ドラゴンズがキャンプするのである。
沖縄本島だけで7球団が、さらには久米島で東北楽天ゴールデンイーグルス、石垣島で千葉ロッテマリーンズがキャンプする。そのようなプロ野球と沖縄の深い絆を考えると心から楽しい。
私のように、ぼんやりと走ったり歩いたりしているだけで、偶然プロ野球キャンプに縁がある場面に出会う。ましてや、それを目的に沖縄を訪れるファンにとっては、沖縄は大切なプロ野球の聖地だろう。
沖縄には素敵なお店も多い。選手たち、ファンたち、関係者たちが居酒屋で談笑することもあるだろう。沖縄に流れている空気、ゆったりとした時間が、キャンプの疲れをいやしてくれる。沖縄という場所の持つ魔法もまた、選手たちのプレイを向上させてくれる重要な因子なのではないかと思う。
沖縄の恵みが、野球の精神に惜しみなく注ぎ込まれるのだ。
このエッセイは、雑誌「モモト」のために書かれ、掲載された文章です。
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