連続ツイート2359回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。


AIができるようになってしまったことは、もはや典型的な「知性」とはみなされなくなるという「AI効果」(AI effect)は、人間の認知のバイアス、あるいは自分たちの牙城を守ろうという感情的な反応なのかもしれないが、それ以上の何かもあるような気がする。


AI効果の典型として、視覚情報処理がよく挙げられれる。顔の同定や、猫や犬といった対象の認識は、かつては人間の脳の固有の能力とみなされていたが、AIがそれを人間の正確さより上のレベルでできるようになってから、なんとなく、それは機械でもできることだからという雰囲気になった。


囲碁、将棋、チェスも、最近のハサビスのトークによればゼロから始めて数時間で人間をはるかに凌駕する最強レベルに達するようだけれども、かつては人間の知性の象徴とみなされていたこれらのボードゲームにおける卓越も、もはや「機械にもできることだから」と知性の本丸だとはみなされなくなった。


このように、AIが実現できたことはもはや知性の本丸とはみなさないという「AI効果」(AI effect)は、ずるいと言えばずるいわけで、AI側からすれば、どんなことを実現できても、いや、それではまだ知性とは言えないからとゴールをどんどん動かされているようなもので、人間の身勝手という側面がある。


一方で、AI効果に表れている感性には、別の意味で知性に関する私たちの觀念の本質が表れているとも言える。それは、知性は顕在的に何かができることにあるのではなく、潜在的に、今までできなかったことができるという拡張性にあるのであって、そこに人間の知性の自負があるとも言える。


フェルマの最終定理やポアンカレ予想のような、究極の知的ゴールでさえ、それが証明されてしまうと、もはや「済」になって、人間の知性のフロンティアからはずれる(もっとも全く新しい証明が見いだされる可能性もある)というところがあって、つまり人間自身が「AI効果」を自分たちに当てはめている。


典型的な知性の分野以外でもそうで、もはや、誰かがモーツァルト的な音楽を書いたり、モネ的、あるいはフランシス・ベーコン的な絵画を描いたりしてもそれは創造性の発露とは見いだされないところがある。つまり、人間自身がゴールを常に動かす傾向があるわけで、「AI効果」は人間自身にも適用される。


以上、連続ツイート2359回「AI効果は人間自身にも適応される」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

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