連続ツイート2337回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


パリのセーヌ川南岸側に、パンテオンという丸い建物があって、偉人たちのお墓があるのだけれども、その近くのホテルの壁に「ここでシュルリアリズムが誕生した」と書かれていて、中でも「自動書記」の運動がそのあたりで生まれたと記されていたと記憶する。


シュルリアリズムにおける自動書記はアンドレ・ブルトンらが始めたんだと思うけれども、無意識の中から生まれてくる文字列を記すということで常識や意味の構造にとらわれない無意識のダイナミクスが表現できるという意味では確かに可能性の空間を広げたのだろう。


難しいのは、シュルリアリズムにおける自動書記だけが、自動書記(オートマティスム)なのではなく、ふだん私たちが書いている文章もまたオートマティスムなのであって、どのような文章を書くのか、表現として何を選択するかは意識のコントロール下にあるのではなく、無意識からわいてくるのである。


今日の連続ツイートがなぜか自動書記の話になったのも、机に座って何を書こうと思った時点ではわかっていなかったわけで、なんとなくパンテオンの近くにあったホテルの壁の「ここで自動書記が誕生した」という表記をなぜか思い出して、そして書くことにおける無意識と意識の関係をこうして綴っている。


自動書記のほんちゃんの方は、出てきた文字列がナンセンスというか夢や詩のようなものだということなのだろうけれども、通常書いている文章もまた、無意識から出てきているということについては変わりがない。ただ、通常の文章は、意味の拘束条件がより強いというだけのことである。


書字行動において、無意識のもつランダムな傾向と、意味という拘束条件の配合割合をどうとるかで、文章が変わってくる。そのことは、シュルリアリズムとして枠付けられた活動だけでなく、表現行動一般に言えることだろう。


保坂和志さんは作家として多くの後進に絶大な影響を与えたけれども、『カンバセイション・ピース』を書かれたあたりだったか、小島信夫さんの小説をいろいろと紹介されて、その小島信夫さんの小説もまた、意味の拘束条件と無意識のランダムさの配合が見事なものだった。つまりそれはどこにでもあるのだ


以上、連続ツイート2337回、「シュルリアリズムの自動書記から見る、表現における無意識と意識の配合バランス」をテーマに7つのツイートをお届けしました。

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