連続ツイート2335回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。
デジタルとアナログの関係についてさまざまな議論が行われているが、大抵は俗論だ。紙の本でも、デジタル書籍でも、情報は変わらないし、子どもの頃はできるだけデジタルに触れさせないという主張も愚か。ただ、最近、紙の新聞には決定的なメリットがあることに思い至った。新聞関係者の方は注目(笑)
インターネットを通して情報を得るのは便利だが、決定的な脆弱性として「エコーチェンバー」がある。自分の興味のあることに接して、それがまた自分に戻ってきて、それがこだまのように響き続ける。自分の関心の対象が、横に広がっていかない。
自分の興味のあることを、掘り下げて情報収集していくことは大切である。この点はマスメディアでは足りない。しかし、その結果、興味の対象がピンポイントの集合体になり、世の中のことについて、この程度のことは知っていなくてはいけない、触れておかなくてはという「ミニマム」が保証されなくなる。
私は朝ごはんを食べながら紙の新聞を社会面から徐々に一面に読んでいくのが長年の習慣だけれども、いろいろ批判はあるにせよ、新聞社が長年の経験とノウハウによってキュレーションした情報を、一覧することのメリットは大きい。ネットのニュースサイトには、この網羅性と一覽性がない。
スマホの画面は小さくて、紙の新聞のような大量の情報を視野の中に一気に提示することができない。このため、スマホのネットのニュースサイトで並んでいる項目を見ても、紙の新聞を見ている時のような圧倒的な並列性は存在しない。このため、関心のエコーチェンバー化が進む。
また、紙の新聞の情報のレイアウトが印刷で固定されていることも一覽性、網羅性の視点からはメリットである。デジタルのインタラクティヴ性は福音であるが、一方でも罠でもあって、全体像を見通すことがなかなかできない。紙の新聞をめくっていく中での視覚体験と同等のものを提供できていない。
このように、紙の新聞の一覽性、網羅性はデジタルの情報源では得られないもので、その日その日の「最低これだけは概観しておくべき情報の範囲」をパターン認識する上では現時点で最適のメディアだと言える。私が毎朝ご飯をたべながら新聞を読むのはこのあたりに理由があるかもしれない。
ただし、若者の新聞離れは深刻というか壊滅的で、30歳以下の若者は全く新聞を読む習慣がないという体感がある。このままでは新聞ビジネスはやがて消滅するが、それと同時に、一覽性、網羅性にすぐれたメデイアが消えてしまうのはもったいないと思う。
紙の新聞が、デジタルのインタラクティヴがもたらすエコーチェンバーの罠の解毒剤としてもっと普及するためには、やはり、批評性や先進性のある紙面を提供して新聞を完全スルーしている若者世代に興味を持ってもらわなければならないだろう。それは極めて困難ではあるが、不可能ではないはずだ。
以上、連続ツイート2335回「デジタルのエコーチェンバーの罠の解毒剤としての、紙の新聞の一覽性、網羅性」をテーマに、9つのツイートをお届けしました。