連続ツイート2333回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


ジャンヌ・ダルクが出てきたのは、100年戦争でイギリスにフランスの多くの領土が占領されて、特に、国王の戴冠式が行われるランスも占領されて、フランス人が「やる気」を失っていたような状況で、農民の娘が突然神の掲示を受けたと名乗り出たのだった。


ジャンヌ・ダルクの示唆した戦略は大胆で積極的なものだったが、そのとおりにやったら勝って、フランスは領土を取り戻し、ランスでシャルル7世の戴冠式を行うこともできた。しかし、その後ジャンヌ・ダルクは敵側につかまって、異端審問にかけられることになった。


異端審問中にジャンヌ・ダルクに投げかけられた「あなたは神の恩寵を受けていたか」はトリックの質問で、肯定しても否定しても異端だったが、「恩寵を受けていたとしたらありがたいし、受けていないとしたら神に恩寵をくださるよう願う」という回答は完璧で、ジャンヌ・ダルクの卓越した知性を示した。


ジャンヌ・ダルクは文盲だったとされていて、当時の残された署名のうち綴が間違っていたものが彼女の真筆だったかもしれない。異端だと認定されても悔い改めれば許されたが、男装していたジャンヌ・ダルクが女装に戻したのを兵士たちに襲われそうになって再び男装したのが異端だとみなされてしまった。


火あぶりにされたジャンヌ・ダルクだけれども、死後、カトリック教会は名誉回復して、今では聖人となっている。ジャンヌ・ダルクの以上のような事績は、「カリスマ」とは何かを考える上で興味深い。カリスマは、社会の危機において、それまでの秩序の外から現れる。


カリスマの「正統性」は、ジャンヌ・ダルクの評価が揺らいだように、常にあやうい領域にある。そのあやうさがかえって注目をひきつけて、人々を集めさせる。今で言えば、地球温暖化の問題を訴えているグレタ・トゥーンベリさんに対する評価のゆらぎがそれに当たるかもしれない。


カリスマ性の高い人を前にすると、人々の前頭葉の遂行性回路の活動が低下することを示す研究がある。いわば、人々は、自分自身で判断して行動することをやめて、カリスマ性のある人に追随することを選択するのである。


ャンヌ・ダルクの事績は、カリスマがどのように出てくるのか、ジェンダーの問題、そして、正統性のゆらぎなどのさまざまな視点から興味深い。随分前の人のようにも感じられるが、精神の歴史から見れば現代。グレタ・トゥーンベリさんのカリスマ性がどこから出てくるのかを考えることは有意義だろう。


以上、連続ツイート2333回「ジャンヌ・ダルクの事績と、グレタ・トゥーンベリさんのカリスマ性」をテーマに8つのツイートをお届けしました。

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