連続ツイート2332回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


ゲーテの『ファウスト』は、構想から完成まで確かに二十年以上かかったんだと思うけれども、その意味では作家が作品を手元において手放さなかったレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』に似ている。その『ファウスト』の第二部の最後の方で、ファウストはどこかの国の大臣みたいな立場になる。


それで、大臣になったファウストが、海岸地方の干拓だったかなんだったかの大事業に乗り出すんだけれども、その事業自体は善意に基づいて、よくできた計画に基づいて政治家として決断してすすめるのだった。


ところが、ファウストが始めた事業で、その海岸地方の小さな家に住んでいる老夫婦の生活が決定的な影響を受けて、悲劇的な結末になってしまうのだと記憶している。つまり、政治家が善意を持って進めた計画で、個人の生活が破壊されてしまうのだ。


作者のゲーテ自身が、ワイマールで大臣のようなことをやっていたわけで、ファウスト第二部のこの記述は、ゲーテの政治家としての経験に基づいて、あるいは詩人特有の洞察力、インスピレーションで書いたものと思われるけれども、一般に政治家、ないしは政治的決断の持つ「原罪」のようなものを示す。


社会は複雑で、一つの決定がまわりまわって人々の生活にどんな影響を及ぼすかわからないのである。悪意に基づくものは論外だけれども、善意に基づくものですら危ういのである。政治家であるということは、そのような「原罪」とともにあるのであって、そのことに自覚的でないと本当に危うい。


ゲーテのような知性も感性もすぐれた人だからこそ、政治というものが持つ原罪性をファウスト第二部で書けたけれども、実際の政治はそのような原罪性に自覚的でない政治家によって進められていくことが古今東西多い。日々のニュースを見ていて、時々、ゲーテやファウストのことを思い出している。


以上、連続ツイート2332回、「ゲーテが『ファウスト』で描いた、政治の持つ原罪性」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。

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