連続ツイート2330回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


ぼくは、学生時代に熱帯雨林の保護の活動をしている団体の記事を読んで感動して、事務所にボランティアをさせてくださいと行ったことがある。そしたら、仕事がたくさんあったらしく、行ってすぐに封筒の記入や糊付けを手伝った。それから、3日後に外国から人が来るから通訳をやってくれとか言われた。


その熱帯雨林の保護の活動している団体で働いたのは結局一日だけになった。というのも、そこにいた人たち(代表ではない)と大喧嘩になって、その方々は熱帯雨林の保護といっても人間の生活とのバランスがたいせつだみたいなことを言って、話しているうちに、熱帯雨林の生物多様性とかにはあまり


興味も関心も知識もないということがわかったからである。ぼくは子どもの頃から蝶を追いかけていたから、熱帯雨林の自然の多様性をそれこそ今で言えばナショジオとかBBC的な視点で愛し、守ろうとしていたのに、その方々はどちらかというと社会経済イデオロギー的なことをおっしゃっていて頭に来たのだ


当時のぼくの考え方は、今で言えばdeep ecologyとでもいうのだろうか、人間の自然の中での位置づけを相対化して環境全体を考える志向性になるのだと思うけれども、自然保護と言っても、あくまでも人間中心に考える人たちがいることを発見したのは、当時のぼくにとっては気づきではあった。


ブラジルのアマゾンの森林火災がひどく、対してブラジルの大統領が国内問題には口を出すなとか、内政干渉だとか、フランスなどからの批判を「植民地主義的」だと反発しているニュースをこのところ見ていて、学生時代のほろ苦い経験を思い出した。自然のことを、人間の生活や経済との関係でしか考えない


人たちはまだいる。ブラジル大統領が外国からのアマゾンの森林を心配する声を植民地主義的と批判するけれども、その彼の態度そのものがアマゾンの森林の中でずっと暮らしてきた人たちから見れば植民地主義的なのではないかと思うけれど、そのことにメタ認知は立ち上がりにくいらしい。


人間たちが内政干渉だとか植民地主義的だとか言っているうちにも、アマゾンは森が燃えて生物多様性が失われる。その事実自体が何よりも問題だとぼくは思うけれども、学生時代の経験からしても、あくまでも人間との関係でしか考えられない人たちがいることも知っている。とかくこの世は住みにくい。


以上、連続ツイート2330回「人間たちがあれこれ言い合っているうちに、アマゾンの森は燃えて失われていく」をテーマに7つのツイートをお届けしました。

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