連続ツイート2307回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


N国党が議席を得て、政党要件を満たして以来、私はNHKの現状を批判するにせよ、スクランブルをかけたりするのではなく、BBC型の、すぐれた公共放送になるための応援としてツイートしているのだということをはっきり打ち出して、自分でも意識している。NHKはBBCの良いところはどんどん取り入れればよい


NHKはいろいろな番組を制作、放送していて、そのどれもが重要だろうけれども、特にニュースや時事は、公共放送としての存在意義の核心である。このところ、日本の戦時中、戦後のことなど「過去」のことについてはすぐれたドキュメンタリーを放送してが、同じことを現在進行系の「今」でもやってほしい


NHKの時事(current affairs)の報道、番組作り、放送の何がもの足りないのかということをBBCと比較して考えてみると、これは何度も書いていることだけれども、ジャーナリストとしての能力のいきいきとした発露がないことかと思う。すべてがお役所的で、事なかれ的に見えてしまうのである。


NHKとBBCの時事についての番組作りのトーンの違いを端的に書くと、後者は、あるできごと(たとえば今で言えばRrexit)について巷で言われていることを、網羅的、すべてのスペクトラムで見て、それを反映したニュース原稿、番組になっているのに、前者は小さく前にならえというか、制約が大きすぎる。


手法としては、BBCの朝の報道番組は、左から右までさまざまな新聞記事を参照してスタジオでジャーナリストがああでもないこうでもないと議論するスタイルだけれども、NHKの場合、そのような議論の幅は最初から存在しないことになっていると思う。


社会の中にはさまざまな意見があって、それを並べれば当然ざらざらする。BBCは、その大人のざらざらを反映した報道姿勢、番組姿勢になっているのに、NHKは、「これだけ見ていれば安心安全です」というような、視聴者を子ども扱いした感性の「囲い込み」をしているように印象される。


かつては、「みなさまのNHK」が提供する「安心、安全」の世界だけで呼吸していればいいという話もあったのかもしれないけれども、今はネットでありとあらゆる意見に人々が接する時代である。そんな時代に、今のNHKの時事の報道姿勢は、あまりにも「幼稚」であって、もはや時代にそぐわない。


NHKの報道や情報番組の作り手の多くは英語はできるはずだから、BBCの報道、情報番組のフォーマットを少しでもいいから見て欲しい。同じ公共放送でありながら、何が違うのか? 国によって文化や歴史は異なるけれども、良いところは大いに取り入れて、番組をアップデートしたら良い。


NHKとBBCを比べると、後者の方が「受信料」(英国ではlicense fee)を払っている人の割合が高く、また、受信料徴収のための人件費の割合が低い(NHKは集金人は廃止しても、訪問する人たちの人件費がかかっている)。BBCの方が国民に公共放送の意義を納得してもらって、自発的に支払ってもらえている。


NHKは、BBCに比べると、公共放送としての意義を国民に高いレベルで納得してもらえていない。最大の要因は番組の「質」であろう。ネット時代にメディアの切磋琢磨で目や耳が肥えた視聴者に、今まで通りの「小さく前にならえ」の「安心安全」の「みなさまのNHK」では、公共放送としての意義を保てない。


以上、連続ツイート2307回「N国党のスクランブル化の主張には反対だけれども、NHKとBBCを徹底比較する」をテーマに、10のツイートをお送りしました。

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