連続ツイート2230回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


英語で、映画館のことをビッグスクリーンと呼ぶことがある。ぼくはNetflixをふだんはコンピュータ(マックブックプロ)で見ているけれども、今朝、初めてスマホ(iPhone X)でハッサンミンハジのPatriotic Actの最新エピソードを見てみた。ねころがって、30分弱のクリケットものを見た。


スマホで見るのは、いわばスモールスクリーンで、一人で身近で見ている。かつてカウチポテトというのがあったけれども、今は寝転がりスマホで、Netflixのエピソードも見ることができる。英語字幕もはっきりと読み取れて、なかなか快適な視聴体験であった。


今はテレビモニターを持たない人も増えてきているから、また、コンピュータを持たない人も多いようだから、世の中は、スマホのスモールスクリーンと、映画のビッグスクリーンに二極化しているように思う。そして、それぞれ異なる味わいがある。


スモールスクリーンは、とてもぬくぬくとした、プライベートな使用感覚である。寝転がって見ていると、自分とスマホしかない感覚になる。一方で、ビッグスクリーンは、没入感がある。圧倒もされる。時にはビッグスクリーンで見たいと思うこともある。


これからの映像体験は、スマートフォンという極私的な体験と、ビッグスクリーンの映画館のような体験に二極化していくのかなとも思う。「お茶の間」は消えて、むしろ家族や友人と過ごす時間からは、映像が退場していくような気がする。


マクルーハンはメディア自体がメッセージだと言ったわけだが、街頭テレビから、お茶の間の真ん中にテレビがあった時代を経て、多くの人にとってはスマホか映画館のどちらかになる時代のメディアのメッセージ性については、時々脳への作用に立ち返って考えてみたいと思う。


以上、連続ツイート2230回「スモールスクリーンとビッグスクリーンに二極化する時代」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。

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