幻冬舎の見城徹さんが、発行部数とか売れ部数とか書いちゃった件だけど、みんなが怒っているほどには、ぼくは見城さんに腹が立ったりしていない。


そもそも、商業出版ってたいへんだと思うし、いつも、もうしわけないなあと思っているのだ。

ぼくは幻冬舎から出させていただいた本もあるけど、そんなに売れたわけではないかとも思う。

見城さんとお話したことはあまりないけど、担当編集者の大島加奈子さんを通してメッセージをいただいたことはある。


それは、ぼくが書評したある本についてで、見城さんならではの言い方で、「あの本のいちばんいいところを見つけてくださってありがとう」とかいうメッセージだった(本当はもっとエッジの立ったメッセージだったけど、角が立つから書かない)


ぼくはいつも思うけれども、今の時代、読んでもらおうと思ったらネットに直接置いてもよいわけで、実際、ぼくはそのようにしている文章もいくつかある。(出版の見込みがとりあえずない日本語や英語の小説とか)。


ぼくの場合、脳関係のノンフィクションは比較的出してもらいやすいのかと思うけれども、出版社が、自らの資本を使い、編集者の方のちからをお借りし、その出版社のいわば看板で本を出していただくありがたさには、慣れてはいけないのだといつも思っている。


若いとき、本なんか一冊も出したことがなくて、どうやったら本を出せるのか見当もつかなかった時の気持ちはずっと忘れない。


だから、見城さんの表現は確かに問題があったとは思うけれども、文章をネットに置くということと、出版社から商業出版するということの間の距離、緊張感だけは忘れたくないなあと思う。


幻冬舎の社屋は何度か行ったことがあるけれども、大きな建物で、維持費もかかるだろうし、社長というのは想像以上にあれこれたいへんなんだろうなあと思う。


商業出版で本を出すということのたいへんさとよろこびはもちろんあって、それなりに家賃が高いと思う。


自分が本当に伝えたかったら、ネットに置けばいいわけで、その上で、商業出版をするありがたさと緊張感は忘れないでいたいと思う。


(クオリア日記)