連続ツイート2219回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、昨日思ったこと。


昨日、野中郁次郎先生とお話していてとても楽しかったのだけれども(形式的には、二人ともKADOKAWAから新刊が出たのでそのプロモーションだったけれども、話はいろいろと充実して面白かった。そのうちどこかに出ると思います)、一つ心に残ったのが「自伝」の話だ。


野中先生は「知識創造企業」についての英語の本がたいへん影響力があって、日本とアメリカの間をいったりきたりしているわけだけれども、野中先生が、アメリカは自伝が充実していてたくさん読みますよね、そこから読み取れる知識がとても大事とおっしゃっていて、ほんとうにそうだなあと思った。


引退した大統領はだいたい自伝を書くし、そのほかにもいろいろな方が自伝を書くのがアメリカ。それぞれの人生の履歴を読むことで、私たちはいわば人生のパターン学習ができる。日本でももっと自伝を書く文化があったらいいのにと野中先生とそういう話になった。


日本の自伝というと福翁自伝が思い出されるけれども、ああいうものを書いているということろがさすが福沢諭吉さんの偉さというか、何かが見えていたのだろう。慶応大学に入った人はみんな一冊ずつもらうということだが、みんな読んでいるのかな。福翁自伝から学ぶことはたくさんある。


明治をふりかえる流れがあるけれども、福沢諭吉が福翁自伝でいわば提起した自伝を書くという習慣が、なかなか定着しなかったのはもったいない気もする。もちろん日経新聞の私の履歴書とかあるけれども、じっくりこってり読む自伝がもっとあったらいいなあと思う。


ポテンシャルはあるのに、なかなかそれを活かしきれていないということはあって、坂本龍馬も、これは幾分司馬遼太郎さんの想像力が入っているかもしれないけれども、維新を成し遂げたあとは世界の海援隊になって、飛び回るつもりだったのだった。生きていたらそう生きていたことだろう。


今はグローバル化の時代で、日本という個性も、世界のマトリックスの中で生かしてこそ発展する。先日訪れたタイもそうだけれども、世界の至るところで中間層が出現し、つまりは経済も文化もネットワークで発展する。日本だけにとらわれていては、日本を活かすことができない。


福翁自伝で見えた自伝の可能性もそうだけれども、坂本龍馬が生涯の最後に見ていたであろう、世界を縦横無尽に結びつける世界の海援隊という感覚も、なかなか活かしきれていないのが日本なのかとも思う。明治以来の宿題はまだまだいろいろあるなと思う。


以上、連続ツイート2219、「福翁自伝と、世界の海援隊と」をテーマに8つのツイートをお届けしました。