連続ツイート2214回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「英語」のことについて。


昨日も、ベルリンの社会科学研究所から来日している研究者としゃべっていて思ったけれども、最近は、英語を話すときは、圧倒的に英語を母語としない人どうしで話すことが多い。比率としては、2対8くらいで母語じゃない人と話す気がする。あるいは1対9かもしれない。


グローバル化というのはそういうことで、つまり、世界には数千の言語があるわけだから、お互いに理解しようとしたらlingua francaである英語を使うしかないわけだから、お互いに英語は第二言語だけれども、まあいろいろ苦労して話すわけである。


その際、文法が正しいかとか、発音がどうかとかそういうことは割合どうでもよくって、とにかく伝えたいことを伝えることが大切である。相手の英語を聞いているときも、それが正しいかとかどうでもよくって、この人は何を言っているんだろうとそっちの方に注意の9割以上はいく。


逆に、ネイティヴの英語が特殊というか、あっ、この人英語うまいけど、そういえば第一言語だったんだね、ラッキーだね、というような感じで、ネイティヴの英語が、世界の英語地図の中のワンオブゼムくらいの感覚になっていると思う。


日本人は正しい英語、というものをどうせ使えないのに偏執的に気にし過ぎな傾向があって、だからお互いに揚げ足とったり気にして話せなかったりするけれども、そういうの、世界の英語使用の実態を見ていると、一ミリも関係ないと確信する。


マララちゃんの英語のスピーチを見て、誰かがRとLの発音が間違っているとか指摘しているのをネットで見たことがあるけれども、彼女のすばらしいメッセージじゃなくてどうでもいい英語の正しさを気にするって、おかしいとなぜ気づかないのだろう。


うせ達成できないのに、英語の完璧さをお互いにもとめて足をひっぱりあっている感じは、何事も完成度の高さを求める気質と無関係ではないだろうから、全体として日本人の個性なんだろうとは思うけれども、第二言語話者どうしが丁々発止している世界の英語会話の現状から見ると、もったいないと思う。


以上、連続ツイート2214回「日本人は英語の「正しさ」を気にしすぎだと思う」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

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