連続ツイート2208回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、人間の「知能」について。


今ある本を読んでいるのだけれども、その中にチェスの天才が出てきて、その人はある伝説的なマッチですごい手を打って語り草になっているんのだけれども、世界チャンピオンには一度もならなかった。その理由を周囲が聞かれて、一様に「彼は頭が良すぎたから」と答えたという。


知性は一般的には世の中に適応するために役立つはずだけれども、知性が高いことが不適応になることもあって、そのチェスの天才はチェスだけに集中していればよかったのに、オックスフォードで数学で博士号をとったりしていろいろやっていてチェスでは大成しなかった。


適応ということをある文脈における評価関数の最適化ととらえると、それをはみ出してしまう知性を持っているひとがいて、そのひとはむしろ不適応になる。知性というものを、不適応の原因と見ると、人間観の深みが増すように思う。


養老孟司さんはすさまじく頭のいい人で、そのオーバースペックぶりにはいつも驚かされる。キンドルに数百冊英語のcrime novelなんか入っていてサクサク読んでしまう。その養老さんは、東大の解剖学教授としてはおそらく不適応の方だったのではないかと推察される。


養老孟司さんは、大学の教授や、アカデミックとしてはその文脈の中で評価関数を最適化するというよりは、いろいろな文脈を逸脱していって、だからこそ養老さんなんだけど、そのようなかたちで知性というものが顕れることがあることは、記憶しておいてよいのだと思う。


特定の文脈の中での評価関数の最適化ということを超えた、文脈からの逸脱こそが知性のある種の本質であるということは、人工知能を設計するときにもよくよく考えておかなければならないことで、今のところ特定文脈の中での評価関数の最適化ということに終始しているように見えるからである。


メンサは高校の時に会員になってずっと忘れていたけれども、数年前に会合に行ったときに、集まった人たちが社会に適応しているというよりはむしろ苦労しているような方々が多かったのが印象に残っている。変わりものとして浮いていたり。知性は必ずしも適応につながるわけではない。


以上、連続ツイート2208回「知性は不適応のきっかけにもなりうる」をテーマに7つのツイートをお届けしました。

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