連続ツイート2202回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、少し厳しい話になります。


NHKの報道の方々も制約の中でがんばっていると思うけれども、その制約は自分たちがつくりだしたり、単なる慣性の法則だったりもするのではないか。最近ではNHK報道(特に総合テレビ)に対する期待値が限りなくゼロに近く、全くといって良いほど見なくなってしまった。


日本の国際社会における注目度は明らかに上がっていて、社会的なネタでも、インパクトのあるものは、BBCを始めとする英語のニュースでも取り上げられることが多く、NHK報道を見なくても、いわば地球村の中での日本のニュースは入ってくるから、そちらに接していることが圧倒的に多い。


昨日、たまたま出張先で19時にホテルにいたから、悠仁さまのことが気になって珍しくNHKニュースを見ようと思ってつけたら、その件は少なくとも最初の方では報じられずに(報じないという方針自体は一つの見識かもしれないが)10連休のことをだらだらだらだら報道していたので呆れてしまった。


NHK報道はジャーナリストの集まりのはず。ならば、そもそも、現代の日本で、10連休でカレンダーどおり休める人たちがどれくらいいると思っているのか? 昨日の夜7時のニュースでは、大型客船のクルーズの話を延々とやっていたが、物流やサービスなど、休めない人たちがそれを見てどう感じるか?


政府が決めた10連休を、クルーズにもいけちゃう、とだらだら報じるのはジャーナリズムの役割ではない。昨日の7時のニュースでは、後半、申しわけのように、人気のケーキ店の職人さんたちが連休中も休めないんです、みたいなネタを扱っていたが、今日本の社会の中にある分断は、そんなものじゃない。


ぼくが一番懸念するのは、NHK報道にかかわっている方々が、受信料制度に守られ、安定した雇用に守られ、ご自身たちはカレンダー通り休めないかもしれないけれども、社会の中でカレンダーどおり休める人たちと同じ、いわば「余裕こいた階層」に属しているということに気づかないでいることである。


昨日、懇談の席で、「NHKの方々って、今の社会の中では貴族みたいなものなんじゃないか」と言ったら、「そうだねえ」という賛同が多かった。ニュースの作り方として、今の社会の本質に刺さる批評性のある切り口が出ないのは、自分たちが記者クラブを含むいろいろなものに守られているからじゃないか。


しばしば問題にされる、官邸との関係についてはNHK報道の方々もいろいろ苦労があると思うし、なにしろ予算を人質にとられているわけだから、政治的なバランスも必要な場合もあるかもしれない。しかし、本当に問題なのは実はそこではないのではないかと昨日の10連休のぬるま湯報道を見ていて思った。

記者クラブに守られフリーのジャーナリストが接することのできない情報に接し、官邸に配慮しているうちに次第に為政者と同じ目線や感性になって失われるのは、社会の多様性を反映し、批判的思考に基づいて事象に切り込んでいく、本来の意味での在野のジャーナリスト精神なのだろう。


報道に限らず、NHKの職員の方々や、その志にもかかわらず、結果として現代における「貴族」になってしまっているのは事実なのだと思う。その結果、ニュース事象に対する切込み方がぬるま湯的になってくる。世の中で苦しんでいる人たちや、10連休なぞできるはずもない人たちへの想像力が欠けている。


ぼくがNHKの報道に対して抱いている違和感はつまりは報道をつくっている方々が感性的な意味でのぬるま湯の中にいることに発しているのだとわかっただけでも「10連休」報道を見たのは有意義だった。BBCにせよCNNにせよ、現場から報告するジャーナリストたちは世界の激動の中でその声に緊張感がある。


以上、連続ツイート2202回「NHK総合の10連休報道に感じた、ぬるま湯的感性」をテーマに、11のツイートをお届けしました。


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