連続ツイート2180回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、都合のチェックアンドバランスについて。


ゴーンさんが再逮捕されたことについて、私は、検察の方々にも捜査したいことがあって、そのためには身柄の拘束が必要であるという理屈があるのだろうけれども、ゴーンさんの都合や社会全体の利益も考える必要があって、そのバランスが悪いという印象が今問題になっているのだと感じる。


証拠隠滅の恐れがあるとか、逃亡の恐れがあるとか、長時間取り調べをしたい、だから身柄を拘束するというのは検察側の「都合」であって、それが100%通れば検察としては捜査がやりやすいのだろうけれども、それ以外の事情(たとえば人権とか)を配慮するのが、成熟した社会のあり方ではないか。


この、「都合のチェックアンドバランス」ということが、特にパブリックセクターについて欠落しているのが私たちの社会の特徴であるように感じる。視野が広くないというか、一つの文脈で、いわばオタク的な最適化をしてしまっているのである。メディアにもそれが表れている。


私はずっと以前から、日本のメディアが横並びで「ゴーン容疑者」と報じるのは問題だと主張してきたが、糠に釘で一向に変わる兆しはない。英語圏では、逮捕されてもMr. Ghosnだが、この違いは、「都合のチェックアンドバランス」と無関係ではない。


ゴーンさんが逮捕されたとしても、それは、ゴーンさんという人における「一部」でしかない。日本のメディアは、「ゴーン容疑者」と、あたかもゴーンさんの存在自体が「容疑者」で塗り固められたような印象操作をするが、実際には「ゴーンさん」の社会的あり方の一部が「容疑者」であるに過ぎない。


一つの「都合」、あるいは文脈と言ってもよいけれども、それを全面に持ってきてあたかもそれしかないような処理をすることは、検察による身柄拘束も「容疑者」というメディア横並びの呼称も同じで、そこに欠けているのは広い視野、文脈を超えた事情、つまりは「人生」ないしは「生命」そのものである。


以上、連続ツイート2180回「都合のチェックアンドバランス」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。


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