825回


みくささん


こんにちは。みくさといいます。(三十路女、理系、webメディア編集者)
最近よく、茂木さんの本を読ませていただいています。(10年ほど前に大学の食堂で一度だけお見掛けしたことがありますが、その時は話しかけられず、もったいないことをしました。その分、いま惜しみなく発信してくださっているコンテンツをもって学べるので、ありがたいかぎりです笑)

ところで、茂木さんを含め、聡明かつ人格的な方々の特徴として、対話の相手の意見が明らかに見識が足りないか間違っているかしているように思えても、その意見を否定せず、いったん肯定したうえで、自身の見解を伝えるという余裕のある姿勢があるように思います。そしてその見解の伝え方には、相手に「否定された」と感じさせないような配慮があるようにもおもいます。(トロール等は別として…)
私もそうできたらと思い、できるだけ実践しているのですが、どうも拒絶反応が一度出てしまうと、受け入れることができなくなります。
例えば、今は受け流せるようになりましたが、お酒たばこ(による害)が嫌いなので、以前は、それらを良いものだと話してくる人に対し、無意識に壁を作っていました。今も、道理に合わない(ように私には思える)話とか、退廃的なものを勧めてくる話とか、改善する気のない愚痴を聞くと、モヤモヤしてきて拒絶反応が出てしまいます。(時には、自分にとって都合の悪い話もその対象になっているようです…)。そして、相手によって、黙り込んでしまうか、自分の主張を押し付けてしまうかしてしまいます。
少々独善的な性格なのか、そうした言動が原因で数年前に兄弟からひどく嫌われてしまいました^^; 

後悔した経験が1度2度ではないため、最近はむやみに自分の意見を言わないようにしているのですが、そうすると今度は自分の考えというものが固まらず、芯がどんどんふにゃふにゃになっていくような気がします。コンフリクトを避けられるメリットはあっても、それはそれでつらいのです。

どうしたら、自分と全く違う価値観を受け止め、かつ自分の価値観と共存させる(自分の中で)ことができるのでしょうか。あるいは、どう認識したら、価値観の合わない話を上手に受け流せる?のでしょうか。


ご回答。


ぼくも、みくささんのように、いやだなあ、という気持ちはあるのです。


でも、それに支配されたくないという気持ちもある。


私たちの中にどのような感情が引き起こされるかは、私たちのその認知的な評価によって決まります(apprisal theory)。


ですので、どのように相手の言動を評価するかということは決定論的ではなく、認知過程固有の可塑性があるわけです。



https://en.wikipedia.org/wiki/Appraisal_theory



また、どんなふうに解釈しても、やっぱり嫌だなあ、というときは(笑)、そのような感情にできるだけ注意(attention)を向けないようにします。

いわゆる、スルーするというやつです。


とにかく、ポイントは、ある感情が引き起こされるプロセス、あるいはその感情に自分が影響を受けるプロセスの両方に、フレキシブルに対応する能力が脳にはあるということです。


自分の感情に支配されない方が、スムーズに前に進んでいくことができます。

nounandemo
 
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