公立福生病院における人工透析中止の問題は、経緯についての情報に接する限り、医師としての倫理、医療のあり方の本道から著しく逸脱していて、看過できない。
人工透析医学会の「「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」にある「1)透析を安全に行うことが困難で、患者の生命を著しく損なう危険性が高い場合、(2)患者の全身状態が極めて不良であり、なおかつ患者の意思が明示されている場合や家族が患者の意思を推定できる場合」にも該当しない。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=2297
人工透析は、もしそれをしなければ血液中に老廃物が蓄積して死に至ることが容易に予想できるが、一方でそれを行えば比較的長期にわたって命をつなぐことができる医療行為である。
つまり、医療行為と延命効果の関係が誰が見ても明らかなほど単純であって、効果と副作用のバランスが難しい抗癌剤治療などとは全く様相が異なる。
インフォームドコンセントの要請を形式上満たしていても、上に挙げる人工透析医学会のガイドラインを満たしていない状況で、すなわち、全身状態が悪化して終末期にあたると判断されない状態で、「人工透析をしない選択もある」と患者に示すこと自体がナンセンスである。
人工透析を続けていると、血管の状態が悪化して処置がしにくいなどの問題が起こることはあっても、それをさまざまな工夫で乗り越えようとするのが医者というものだ。
そのような手を尽くさずに、「人工透析をしない選択もある」と聞くのは、医者の風上に置けない。
「ヒポクラテスの誓い」には、次のような文言がある。
「自身の能力と判断に従って、患者にすると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。」
今回の透析治療の中止は、医者として正当な行為とはとてもいえず、もし反省せず、今後も同じような行為を続けるのでれば、当該医師、院長の医師免許を剥奪すべき、悪質な事案だと私は考える。