英国生活の達人

 「英国生活の達人」は、あくまでも、日本人である。日本人であるあなたが、イギリスという国のなかで魅力的で個性的な人間として生きるためには、まず、日本及びイギリスについて、「イギリスの通りを、のびのびと気持ちよく歩くことができる」ようなはっきりとしたイメージを持つことが必要である。もちろん、あなたは、あくまでも個人であり、あなたが「日本人」であるという事実は、あなたが「英国生活の達人」になる上では関係がないというかもしれない。しかし、あなたという個性は、「日本人」という一般的なイメージの上に重ねて投影されるのである。従って、「日本人」として、あなたがどのように振舞うかは、「英国生活の達人」になるための、重要なファクターなのである。

 「英国生活の達人」は、母国日本について、はっきりとしたイメージを持っていなければならない。
 例えば、日本の漁師である。平均的なイギリス人は、まさか、日本の中に、一升瓶を持って冬の浜辺で高倉健のように背中をまるめて、波の荒い日本海を眺めているような人種がいるとは思わないであろう。また、沖縄の海で、サバニを巧みにあやつりながら、カジキマグロを相手に「老人と海」をしている漁師がいるとは、まさか思わないだろう。青いスーツを着て、眼鏡をかけ、せかせかと歩くといった日本のビジネスマンの固定観念をこっぱ微塵に破壊するのは、例えばこのような日本の漁師のイメージであり、それは、恐らく、イギリス人の日本に関する固定観念を破壊する上で、最もインパクトのあるイメージの一つであろう。
 そして、極めつけは「大漁旗」である。様々なデザインの極彩色の旗をなびかせて漁船群が港に入ってくる景観は、まさに壮観である。そこに見られるダンディズムこそ、「英国生活の達人」が常に頭の中に抱いているべき日本のイメージの一つなのである。
 一つの国のイメージを作る上で大切なのは、「日本の漁師」のように多彩で複雑なディテールなのである。「英国生活の達人」は、日本というと未だに軍隊的行動をするビジネスマンしか思い浮かべないようなイギリス人の先入観に与する必要は全くないのである。
 従って、「英国生活の達人」は、日本の漁師のたくましい姿の写真を、パスポートとともに常に携帯すべきである。というよりも、日本の外務省は、パスポートのフォーマットを変えて、本人の写真の横に、かじき鮪を右手に高々と掲げてにんまりと笑っている日本の漁師の写真を、できればホログラフィーでも使って添付すべきなのではないだろうか!

 日本のアジアの中の位置を確認しておくことも重要である。 
 ヨーロッパという地域は、基本的にローマ字を文字として使う領域であると考えれば良い。ギリシャ・ローマの古典文化と、キリスト教がヨーロッパの文化を築き上げた二大要素であると言われている。しかし、このような文化的な共通点にもかかわらず、ヨーロッパには、性格の異なる多くの国民が住んでいることは、非常に興味深いことである。
 このように、ヨーロッパという地域に性格の全く異なる様々な民族が住んでいること、そして、そのような民族性について、良質のジョークがあり、ヨーロッパというパレットの上に、いわば様々な色の絵の具があるということが知られていることが、我々の中のヨーロッパという地域のイメージを、立体的で豊かなものにしているのである。
 全く同様に、同じ「漢字」を使う文化圏として、日本、中国、韓国、台湾の東アジアの諸国がある。ところが、残念なことに、イギリス人から見れば、これらの国は太平洋の西にごちゃごちゃと固まった、黄色い肌の人々が住む国に他ならないのである。
 我々日本人は、どちらかというと「脱亜入欧」という言葉にも表されるように、日本がアジアの一国であることを忘れ、むしろ、ヨーロッパの視点から日本を眺めることによって、日本という国を特別視してきた。しかし、いくら地球上の大陸が大移動しつつあるというのが地質学上の事実であるにしても、日本列島がヨーロッパまで移動していくというのは、近い将来にはありそうもない!
 従って、「英国生活の達人」は、「アジアの中の日本」について、充分考えておかなければならない。といっても、「大東亜共栄圏」のように、アジアと日本の一体感を強調しようというのではない。むしろ、「英国生活の達人」は、アジアの他の国と日本がいかに国民性において違うかを充分把握していて、それについての素敵なジョークをいくつか用意しておくべきなのである。

 日本人と、中国人と、韓国人と、台湾人が平原を散歩していた。すると、前方に、5本足で這う、今まで見たことのないような生物が動いているのが見えた。
 韓国人は、「北朝鮮のスパイだ」と叫ぶと、テコンドーの格好で身構えた。
 日本人は、すかさずニコンF1で写真をとると、フジテレビに連絡するために近くの公衆電話に駆け込んだ。
 中国人と台湾人は、生物を見た途端、リュックの中から包丁と鍋を取り出した。そして、同時に生物を捕まえた。目と目があった二人は、一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、やがてにこっと笑って、二人で協力して料理を始めた。
 やがて料理が出来上がった。それは、大変美味だったので、中国人と台湾人は喜んだ。日本人も、料理の時には気味悪そうにしていたが、ポケットからトラベラーズ・チェックを取り出すと、食事に加わった。一方、韓国人は、生物の死体の中から盗聴装置を捜し出そうと、躍起になっていた。

 「英国生活の達人」は、このようなジョークを、何時でもさらりと言えるように準備しておかなければならない。もちろん、平均的なイギリス人はこのようなジョークを味わうことができるほどのアジア諸国に関する知識を持っていないだろう。あなたは、そんなイギリス人の無知を、肩をすくめて許容しなければならない。そして、ジョークの背景となっている日本人、韓国人、中国人、台湾人の国民性の違い、歴史的経緯について、レクチャーしてあげなければならない。このような経験を通して、日本が中国の一部であると考えているようなイギリス人も、次第に、東アジアが多様な民族のいる、立体的で豊かな地域であり、東アジアというパレットの上には、ヨーロッパというパレットと同じくらい多彩な絵の具が載っているのだということを理解するだろう。

 「英国生活の達人」は、英国の伝統的な生活文化に対して、余裕を持って接しなければならない。とりわけ、日本人の多くが持つ英国の伝統的な生活文化のイメージにとらわれてはいけない。
 英国というと、「紅茶」というイメージが強い。最近、日本でも紅茶にスコーン、ジャム、サワークリームというアフタヌーン・ティーを提供する喫茶店が増えてきた。
 確かに、イギリスで飲む紅茶はおいしい。何故、イギリスで飲む紅茶はおいしいのかという問題を長年研究した結果、私は一つの結論に達した。イギリスの紅茶のおいしいわけは、主にその中に入れるミルクの味に原因がある。その味は、何の癖もない、平板な、いかにもイギリスらしい「中庸」の味である。このミルクという添加物のお蔭で、イギリスの紅茶は、一日何回飲んでも飽きることのない(すなわち、限りなく水に近い)万人のための飲物に変じたのである。
 しかし、イギリス生活の達人は、イギリスというと何でもかんでも紅茶であるというありふれた態度をとってはいけないのである。
 実際、最近の平均的イギリス人は、むしろコーヒーを良く飲む。私のいた研究室の教授も、午前11時になるとドアを半分開けて首を突っ込んで、「コーヒー?」と誘いに来たものである。問題なのは、イギリスのコーヒーはイギリスの紅茶ほどおいしくないということだ。実際、それはどちらかというと香のない色つき水に近い。しかし、あなたが通りすがりの旅行者ではなく、英国生活の達人であることを示すためには、少なくとも3回に1回は、紅茶でなくコーヒーを頼む必要がある。
 もっと良いのは、「緑茶(Green Tea)はないか?」と聞くことである。もちろん、「ない」というに決っているから、そうしたら、なるべく残念そうな顔をしよう。この儀式を経た上で、初めて、自分が最初から飲みたかったものを頼めばよい。「アフタヌーン・ティーをお願いします。」と。そうすれば、彼または彼女はあなたをもっと尊敬してくれるだろう。もっとも、万が一緑茶があった場合には、我慢してそれを飲むしかないが!

 重要なことは、あなたの意識の中で、イギリスという国の位置を相対化することである。いくら世界の共通語となった英語の母国であるといって、所詮、イギリスは広い世界の片隅の小さな島国に過ぎない。(その点、日本も全く同じであるが!)
 確かに、「大英帝国」の栄光は、素晴らしかった。少なくとも、支配する側にあった、イギリス人にとっては素晴らしかった。インド、オーストラリア、アメリカを始め、様々な海外植民地の存在は、渋いイギリス「本島」の文化に、エキゾティックな彩りを加えた。
 しかし、重要なことは、いわゆる「大英帝国」の栄光も、これらの「エキゾティック」な海外植民地の存在があってこそ成立し得たと言うことである。言わば、イギリスの地味で渋い「本島」の味も、より開放的で明るい海外植民地との「コントラスト効果」があってこそ、その本領を発揮したのである。イギリス人にとって、旧海外植民地の存在が依然としていかに心の支えになっているかは、彼らの女王が、旧海外植民地(現在の、英連邦)を訪問するときの、彼らの喜々とした報道ぶりを見てもわかるだろう。
 しかし、地味で渋い「本島」の存在価値を海外の「開放的」で「明るい」植民地の存在が高めているのならば、いっそのこと、国ごと植民地に移住してしまえばよいではないか。このような発想から生まれた国が、「アメリカ合衆国」である!
 英国生活の達人は、イギリスの文化的伝統を尊重し、刺激のない生活を愛しつつも、常によりエキゾティックで、感性を刺激する生活の待つ海外、例えばセイシェル諸島への脱出を夢見ていなければならないのである。
 「イギリスもいいですけれども、やはり、セイシェル諸島に移住したいですなあ。」
 1パイントのビターをすすりながら、あなたがさりげなくこのように言ったとしよう。そして、その時、あなたの目は夢見るようになり、あなたは暖炉の炎に目を落して、自分自身に微笑んだとしよう。もし、あなたがそのような人物だったら、あなたの友人のイギリス人は、きっと、あなたを心から尊敬することになるだろう。
 逆説的だが、英国生活の達人とは、常にセイシェル諸島への移住を夢見ている人でなければならないからだ。
 何故ならば、私自身は、人類の未来はイギリスよりも、セイシェル諸島の方にあると信じているからだ。


(「英国生活の達人」の連載(1995年に書いた文章の連載)は今回で終わりです。ご愛読いただき、ありがとうございました!!!!)

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)