チャイナタウンでの振舞い方

 日常生活の様々な側面で、必死になって慣れない言葉で格闘することは、英国における生活を味わう非常に良い方法の一つである。しかし、そんな生活にも疲れるときがあるだろう。そんなとき、あなたは、同じ様な顔をし、同じ様な歩き方をし、同じ様な言葉を喋る人々のいるところへ行って、食べ慣れた味の食事をし、聞き慣れた音楽を聞きたくなるだろう。
 こんな時、もしあなたが中国人だったら、やるべきことは一つである。すなわち、あなたは、チャイナタウンに行けば良い。ロンドンで言えば、地下鉄のライチェスター・スクエア(Leichester Square)で降りてすぐの一角がチャイナタウンである。日本人は、その点、チャイナタウンのようなエスニック・ディズニーランドを創り出すようなパワーを幸か不幸か持ち合わせていないので、同国人に会うために、ある特定のエリアに行くということができない。従って、最もそれに近い経験といえば、やはり、チャイナタウンに行くことになるだろう(もっとも、最近はロンドンにも「ヤオハン」という日本人の聖地が誕生したが)。
 さて、日本人にとって、チャイナタウンにおける振舞い方というのはなかなか難しいものがある。まず知っておく必要があるのは、よほどの「東洋通」でない限り、日本人と中国人、あるいは韓国人を見分けるのは、イギリス人にとって不可能であるということである。従って、多くの日本人がやりがちなように、あなたが日本人であって、他のアジア諸国の国民ではないことを強調することは、あまり意味があるとはいえない。また、バッキンガム宮殿やビッグ・ベンの前を歩くときのように、きょろきょろと周囲を好奇心に溢れた目で見回すのもおかしい。
 結論すれば、あなたがチャイナタウンを歩くときにできる最良の態度は、中国人であるかのように振舞うことである。そうすると、いきなり北京語や広東語で話しかけられて困るではないかと心配する人がいるかもしれないが、心配は無用である。中国人には、あなたが日本人であることはちゃんとわかるのである。何故ならば、中国人は、大抵の場合、「東洋通」であるからである。
 チャイナタウンへ行くことには、「 英国生活の達人」を目指す上で重要なトレーニングにもなる。とりわけ、自国の文化を守り、異文化に対してそれほど安易に妥協しないという中国人のポリシーに接することは、良く言えば適応力があり、悪く言えば異文化受容において節操がない日本人にとって、一種のショック療法になるはずである。実際、私はイギリスにいる中国人が、
 「私は中国料理以外食べることができない。」
とあたかもそれが疑う余地のない普遍的な真理であるかのように宣言するのを聞いたことがある。日本人だったら、なかなかこのように
 「私は日本料理以外食べることができない。」
とは言いにくい。
 もちろん、チャイナタウンに行く最大の理由は、中国人がそれ以外の料理(特にイギリス料理!?)は食べることができないと断言するほど偉大な食文化を味わいに行くことであるが!


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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)