イギリス人に勝つ方法

 イギリス人が得意なのは、なんといってもビジネスである。実際、ナポレオンがイギリスという国を「商店主の国(A Nation of Shop Keepers)」と呼んだという故事にも表れているように、イギリス人の得意なのは、あくまでもビジネスである。この点、アメリカにおいて顕著な実利主義や、現実の尊重は、すでに母国であるイギリスにおいてその萌芽が見られるのである。
 そして、ビジネスに欠かせないのは、何といっても、余計な想像力や、思い付きを持たないことである。ということは、逆にいうと、ビジネスにとっては「余計」な想像力や、思い付きこそが本質的である「天才」は、イギリスにはなかなか出現しないということになる。
 イギリス人は、従って、極めて例外的な場合(シェークスピアや、ニュートン, ビートルズ など)を除いて、それまでの世界観、価値観をひっくり返すような天才は現れないことをよく知っているのである。この点に関して、イギリス人は深いコンプレックスを抱いている。自分たちが、どう逆立ちしても、ミケランジェロやダヴィンチを生み出すことができないことを知っているのである。
 このようなイギリス人の劣等感を考えれば、イギリス人に「勝つ」一つの効果的な戦略は、何か、イギリス人に理解しがたい、エキゾティクな、素晴らしいものを持った人間としてふるまうことである。幸いなことに、日本人の場合、簡単に、まさにこのような資質を持った人間に見せかけることができる。すなわち、あなたは、おもむろにノートを取り出して、そこに、さらさらと日本語で何かを書いて見せれば良いのである。この際、重要なことは、内容ではなく、さらさらと素早く、何の苦もなく書いて見せることである。その中に、できれば「薔薇」や「齟齬」といった、複雑に見える漢字をおり混ぜると良い(もちろん、複雑に見えれば良いのであって、正しい漢字を書く必要は毛頭無い)。このトリックによって、イギリス人のあなたに対する尊敬の念は、いやがゆえにも高まるだろう。私は、これを、「漢字トリック」と呼んでいる。
 イギリス人は、もちろん、東洋には「漢字」という複雑な文字があるのを知っている。しかし、彼らは、まさかこれらの複雑な文字が、アルファベットを書くときのように何の苦もなくさらさらと書かれるものであるとは思っていない。彼らは、例えば、これらの「漢字」は宗教的儀式の折にのみ使われるのであり、その際も、神官か僧侶かが、複雑な漢字が書かれたお手本を、苦労しながら書き写すのだと思っているのである!
 さらに効果的なのは、時折、The rain in Spain stays mainly in the plain.(スペインでは、雨は主に平野に降る)だとか、I rather fancy the blonde sitting next to me.(隣に座っているブロンドはなかなか良い)とか、E=mc2 (エネルギーと質量は等価である)とか、彼らが理解できる文字を折り混ぜることである。あなたが、わけのわからぬエキゾティックな暗号のみならず、(彼らの視点から見た)文明国の言葉も使うことができるのだということを知り、あなたに対するイギリス人の尊敬の念は、いやが上にも高まることであろう!
 私は、ケンブリッジとロンドンを往復する汽車の中で、しばしばこの「漢字トリック」を用いた。例えば、私の横で「タイムズ」を読んでいる紳士がいたとしよう。私がノートに日本語で何かを書き始めると、大抵の場合、紳士の目は一瞬私のノートの上に釘付けになった。もちろん、イギリス人は、あからさまに他人のノートをのぞき込むようなことはしない。しかし、耐え難い好奇心に突き動かされて、紳士の視線が時折「タイムズ」から私のノートにちらちらと注がれるのを感じるのは、とてもおもしろいゲームであった。
 いずれにせよ、最悪のシナリオは、「英国紳士」のまねをすることだ。これだけは、何としても避けたい。かっての「英国紳士」というタイプの人間を支えた社会的基盤はすでに崩壊しつつあるし、「英国紳士」の市場価値も、急速に低下しつつある。そして何よりも、英国が、あなたという外国人を「輸入」したわけは、英国という中庸の国、ある意味では「退屈な」国に目新しさを与える「スパイス」を望んでいるからであり、あなたにその期待を裏切る権利はないのである!


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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)