後進国としての英国

 これは別に改めて言う必要のないことだが、我々が普通「ヨーロッパ」と一括りで呼んでいる地域に対する重要な事実がある。すなわち、地中海から離れるに従って、全体的な「文化度」は落ちるということである。
 ヨーロッパの文化を形成した二大要因といえば、言うまでもなく、ギリシャ・ローマの古典文化と、キリスト教である。
 キリスト教は、中世というヨーロッパの長い停滞の時代を支える中核的な思想になることによって、非常に重要な歴史的意義を持った。しかし、ニーチェが指摘するように、今日、その影響は過去の記憶に属するものになっている。キリスト教のかっての栄華をしのぶものは、今日では「教会」という音響効果の優れたコンサートホールと、クリスマスという消費奨励週間である。
 それに対して、ギリシャ・ローマの古典文化の影響は、芸術、科学、政治、経済等、社会のあらゆる側面の深層に根付いている。ヨーロッパの各地を歩いていて、「遺跡」という言葉を耳にしたら、それは、まず間違いなく、ローマ時代の遺跡を指すと考えてよい。そのような、目に見える「遺跡」だけでなく、ヨーロッパの社会の中には、様々な目に見えないギリシャ・ローマの「遺跡」が存在する。例えば、今日のヨーロッパの法制度は、ローマ法を基礎に発展してきている。また、様々な学問における専門用語は、ラテン語もしくはその変形である。ヨーロッパの哲学は、その全てが、プラトンの注釈に過ぎないという言い方がされるくらい、古代ギリシャの哲学の影響を受けている。そして何よりも、ヨーロッパの諸言語は、ローマ字という古代ローマの記法で書かれている。従って、「ヨーロッパ」とは、ギリシャ・ローマの古典文化の影響のもとに発達してきた地域であると定義してもよいだろう。
 ギリシャ・ローマの古典文化の揺籃となった、地中海こそ、ヨーロッパの中心であると言うことになる。そして、地中海では、おいしいワインができる。つまり、別な言い方をすれば、おいしいワインができる所ほど、ヨーロッパの中心に近く、文化度も高いということになる。
 周知の通り、イギリスでは、ワインができる所は南部の極く一部に限られており、しかも、その質は、もちろん、フランスなどからの輸入品には比べられるべくもないのである! イギリス人が好んで飲むのは、麦の汁を絞って醗酵させた、ワインのような「余計な」芳香のない飲物である。このことは、イギリスの文化の水準に関して、非常に重要な証言をしてくれているのである!
 もちろん、イギリス人は、彼らの国がギリシャ・ローマから、地中海から、ヨーロッパの中心から、ワインができる地域から遠く離れていることを知っている。従って、ヘンリー8世が、カトリックの教義から離れて、「イギリス国教会」という組織を作ったのも、離婚するためという目的があったのはもちろんのこと、イギリスの「地中海」に対する位置付けをはっきりと確認しようという意図があったに違いない。イギリスは、あくまでもイギリスであり、決して「地中海」を中心とする「ヨーロッパ」の一部ではないのである。
 イギリス人は、ギリシャ・ローマというヨーロッパ文明の発祥の地、その「ヨーロッパの中心地」から遠く離れた所で、必死になって生きてきたわけである。その点、東アジア文明の発祥の地である「中国」の直接的影響からは遠く離れたところで(1200年代のちょっとした2度の危機をのぞいては!)必死になって生きてきた、我々日本人の運命と共通するところが多々ある。従って、「英国生活の達人」は、イギリス人と大いに仲良くすべきなのである。

 このようなイギリスの位置は、彼らの劣等感に根差した、大陸ヨーロッパに対する微妙な感情に反映されている。 とりわけ、「大陸」の中でも最も近い隣人、フランスに対する感情には、複雑なものがある。
 最近、イギリスでは、「プロヴァンスの12カ月」というエッセイが、大流行した。この、「旅行小説」(もうプロヴァンスに定住しているのに、「旅行小説」というのも何だか妙だが、イギリス人は、このエッセイを、「旅行小説」のセクションに分類している)に出てくる典型的なパターンは次の通りである。すなわち、プロヴァンスの地元の人が、イギリスの水準から言えば「奇妙な」あるいは「エキゾティック」なことをする。それに対して、この英国人の夫婦は、「Oh!」とか、「Ah!」とかいちいち歓声を挙げて感嘆する。そして、そのようなプロヴァンスの生活との出会いの一つ一つを、英国人の夫婦は大げさに祝福するのである。
 確かに、このエッセイは見事に書かれており、そのプロヴァンスの記述の仕方もエレガントである。一言で言えば、「プロヴァンスの12カ月」は良いエッセイである。この小説の中では、プロヴァンスという地方の生活文化の最良の部分が見事に捉えられている。しかし、ここで重要なのは、著者はあくまでも記述者としての立場にいるのであって、実際にプロヴァンスのような生活文化を創り出す側にいるのではないということである。つまり、彼らが得意なのは記述することであって、創り出すことではないのだ。モーツァルトの生涯を描いた「アマデウス」という小説があったが、このイギリス人の夫婦は、あくまでもサリエリの側にいるのであって、モーツァルトの側にいるのではないのだ。
 サリエリの立場に立ったイギリス人は、モーツァルトのような才能に溢れた、しかしイギリス的な水準からすると余りにも情熱的で、予測不可能な人間に出会うと、その機会を、微笑みと無口をもってやり過ごす。そして、そのような経験に対する感想として「おもしろかった(amused)」だとか、「魅惑された(charmed)」だとかいう言葉を吐く。これらの言葉に共通していることは、これらが「受身」の、言わば「アームチェア」に座った人の言葉であるということである。確かに、イギリス人には、文化的に優れたものを感受する能力がある。しかし、イギリス人は、「文化的」になろうとすればなるほど、「受身」の立場を強いられるのである。彼らは、いわば文化的に受身の立場なのだ。

 ヨーロッパにおける文化的諸価値の創造と、その伝幡の歴史を冷静に振り返ると、一般的な印象とは裏腹に、イギリスはヨーロッパにおいてはむしろ「後進国」なのだということが見えてくる。文化的な創造のプロセスは、その副産物として、様々な不安定性を生み出す。時には、社会的な混乱や、文化的、経済的な後退も避けられない。創造への情熱は、ビゼーの「カルメン」に見られるように、破壊への衝動にさえつながるのである。このような不確実さは、イギリス人の望むところではない。イギリス人は、あくまでも、他人の創造の結果を、冷静なビジネス感覚で社会的にアレンジすることが得意なのだ。そして、今日の世界の現状を見れば、このようなイギリス的やり方は、なかなか効果的な戦略であるということがわかる。高度に発達した科学文明社会では、あまりにも新しいことを生み出す情熱よりも、管理された小発明を生み出す理性の方が重要なのである。そして、「管理された発明」こそ、より情熱的な地中海の国々に対して、「後進国」のイギリスが得意とすることなのである。 
 皮肉なことに、イギリスは、「後進国」であるからこそ、成功したのである。

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)