ヘンデルとビートルズの関係について

 

 日本では、年末になると恒例のごとくベートーベンの「第九」が演奏される。イギリスで、この「第九」に当たるのが、ヘンデルの「メサイア」である。とりわけ、イースターとクリスマスの季節には、おびただしい数の「メサイア」のコンサートが行われる。ロンドンでは、一晩のうちに複数の場所でメサイアのコンサートが行われることも珍しくないほどである。

 ヘンデルの「メサイア」が人気のある第一の理由は、その「イベント」性にある。まず、第二部の最後のコーラス「ハレルヤ」で、聴衆全員が立ち上がるというイギリス国王が始めた「視聴者参加」型のイベントが、「メサイア」を聴きに行くものを期待でうきうきさせる。この、「ハレルヤ」コーラスで聴衆が立ち上がるという習慣は、イギリスではベートーベンの第五交響曲が「運命」であるということと同じくらい周知の事実なので、第二部の曲が進み、キリストが殺されていよいよ「ハレルヤ」のコーラスが近付くにつれて、興奮しにくいイギリス人の脈拍数も穏やかに高まってくる。そして、ついに「その時」が来て、会場を埋めた満員の聴衆が立ち上がる瞬間に聴衆の興奮は頂点に達するのである。

 さらに、第三部では、「トランペットの音が鳴り響くであろう」というテノールのアリアに導かれて、いかにもイギリスらしい単純明解で明るいトランペットの独奏が鳴り響く。このようなおまけの「イベント」までついているので、「メサイア」は、イギリスの国民音楽としての地位を確固としたものにしているのである。

 しかし、なんといってもヘンデルの「メサイア」が人気のある理由は、それが、イギリス人の国民性に合った音楽であるからである。バッハの「マタイ受難曲」が、非常に深い宗教的感情を表現しているのに対して、ヘンデルの「メサイア」における宗教感情の発露は非常にあっさりしたものである。「メサイア」を聞いて、キリスト教に宗派変えしたという人の話は聞かない。何事にしろ、「やりすぎない」ということが、イギリス人の偉大な伝統なのである。

 このようなイギリスの音楽的伝統は、最近では、例えば、「ビートルズ」の音楽にまで受け継がれている。

 「ビートルズ」は、言うまでもなくあらゆる音楽ジャンルを合わせた今世紀最大の音楽的現象の一つである。彼らがこれほどの成功を収めたのも、彼らの音楽がバランスのとれた、「やりすぎない」音楽だったことによる。一部のカルト的なファンの間で、ビートルズよりも遥かに高い評価を受けているロック・グループはいくらでもいる。しかし、100人中90人までが「良い音楽だ」と言い、テレビ・コマーシャルに安心して使うことができ、友人に「このグループが好きだ」と気軽に言えるグループとしては、やはり、ビートルズを置いてないだろう。そして、このようなビートルズの偉大な人気の秘密は、その中庸を得た、行き過ぎない音楽作りにあるのである。その意味で、ビートルズはヘンデルに代表されるイギリス音楽の伝統の正当な後継者であるということができるのではないだろうか。

 このようなビートルズとヘンデルの間の密接な関係は、大英博物館の展示に、ちゃんと反映されている。すなわち、大英博物館の原稿を展示しているセクションには、ヘンデルの「メサイア」の楽譜の隣に、ビートルズの「ヘルプ!」の手書きの歌詞の草稿が、誇らしげに展示されているのである。もっとも、この陳列法は、イギリスにはヘンデル以降、ビートルズまで、ろくな音楽家がいなかったことを示しているに過ぎないという人がいるかもしれないが!
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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)