伊藤正男先生のご逝去の報に接し、生前のご恩に深く感謝するとともに、心からご冥福をお祈りいたします。 
 大学院の博士課程を修了する頃に、理化学研究所に脳の理論研究グループができるという話を聞きました。
 伊藤正男先生と同じように、東京大学医学部のご出身で、私の東京大学理学部物理学科(大学院理学系研究科)の博士課程における指導教官だった若林健之先生がご紹介くださったのです。
 見学に行くと、伊藤正男先生自らが案内してくださいました。
 初対面の印象は、とにかく「大きな方」だなあということでした。身体も、そしてお心も、大きかったのです。
 一回りした後、私は、自分は今グラフ理論やボルツマンマシンに興味があるのだと説明しました。伊藤先生は、何も余計なことは口にされずに、ただ、「4月から来てください。」とだけおっしゃいました。
 これが、伊藤正男先生とのご縁の始まりでした。
 当時、理化学研究所の脳科学研究グループは理論も実験も同時に進めていこうと、「国際フロンティアシステム」として立ち上がって間もなく、活気にあふれていました。
 全グループが参加するジャーナルクラブで、さまざまな分野の論文に接することがたいへんな刺激になりました。
 そんな会において、伊藤先生はいつもにこにこと笑いながら座っていらして、そして鋭いご意見、見解を示されていました。
 伊藤先生はすでにLTDの発見で世界的な名声を得られていましたが、東京大学を退官されて理化学研究所にいらしても、自ら白衣を着て実験室に立たれていました。
 私がお目にかかったときには伊藤先生は柔和でおおらかなお人柄でしたが、若い頃にはずいぶんとカミソリのように鋭い方だったのだと噂に聞きました。
 伊藤先生が理論グループが大切だと思われたのは、伊藤先生自身がLTDの発見のきっかけとしてデビット・マーの論文を読んでいたという経験がおありになったのだと思います。
 すぐれた理論は、実験においてどのような視点を持つべきなのか、その示唆を与えるものであるという信念をお持ちだと感じました。
 伊藤先生は、ジェントルマンで、そのせいか、とてもおもしろいこともありました。 
 私は、今もそうですが、基本的に大きなリュックを背負って移動しています。
 一方伊藤先生は、いつも、紳士らしい黒カバンをお持ちでした。
 それで、研究棟の入り口などで私とすれ違うと、伊藤先生は、「おや、茂木さん、今日は登山ですか?」とか、「茂木さん、今日はハイキングですか?」とおっしゃるのです。
 つまり、伊藤先生の中では、ふだんリュックのようなものを使うという観念がなかったらしく、リュックを背負っているということは、登山に行ったり、ハイキングに行ったりするものだと思っていらしたようなのです。
 それが、何度も繰り返されるので、そのうち、私はリュックを普段使いしているのだとお気づきになられるのではないかと思ったのですが、そのままでした。
 他にもリュックを使っている研究員はいたはずですが、おそらく、伊藤先生は私のリュックが特に大きかったので、そのような感想を抱かれたのでしょう。
 理化学研究所にいる時に、私は「クオリア」の問題に気づき、それから意識の科学を志すようになりました。
 伊藤先生は、ご自身の研究領域は小脳を中心とする学習メカニズムにありましたが、意識も脳科学の重要なテーマだと認識されていました。
 一つには、伊藤先生がオーストラリアに留学されている時にお世話になられたジョン・エックルスさんが、後年になって意識についての研究に目覚め、さまざまな論考を発表されていたことにも関連があるのかもしれません。
 エックルスさんは、自由意志の起源が、脳の中の量子力学的な過程にあるという考えを持たれて、そのようなモデルを発表されていました。
 控えめに言っても論争的な視点で、さまざまな反響がありました。
 人によっては、ノーベル賞を得たエックルスさんが晩年おかしくなってしまわれたのだと言う方もいらっしゃいました。
 しかし、伊藤先生はあくまでもフラットで、すべての考え方にオープンでいらっしゃいました。
 必ずしもエックルスさんのモデルにご賛成ではなかったと思いますが、自ら、エックルスさんのご本を訳されたりもされていました。
 ある時、ジャーナルクラブで、自分が当時作っていた意識のモデルを発表したことがあります。
 これは今日でも未完成なのですが、網膜からの投射が一方向であることに基づき、ボルツマンマシンとしての確率表現が直積になることに注目したものでした。
 そのようにして、視覚における網膜位相保存的な空間の枠組みができるメカニズムを説明しようとしたのです。
 あとで、伊藤先生の秘書さんにお聞きしたのですが、伊藤先生はセミナーが終わって部屋に戻って来られたあと、「いやあ、今日は茂木さんの話にはびっくりしたよ。あんな考え方があるんだなあ」とおっしゃったそうです。
 どんなことにも興味を持たれて、オープンな心を持たれているのが伊藤先生でした。 
 私がケンブリッジ大学でお世話になったホラス・バーローさんが、国際会議で来日された時のことです。
 バーローさんは、その際、意識のメカニズムについて、エージェント間のコミュニケーション、情報共有が進化論の重要な利点だったのだと主張されました。
 意識に上るものだけを、エージェントは報告することができる。つまり、意識は、コミュニケーションをこそ促進するのだと。 
 チャールズ・ダーウィンのひ孫でもあるホラス・バーローさんならではの、進化生物学的な視点でした。
 バーローさんのトークが終わったあと、伊藤先生は私のところにいらして、「バーローさんのお話、ちょっと意外だったけどなあ」とおっしゃいました。
 つまり、意識と言えば、やはりまずは自己意識のことが思い浮かべられるのだけれども、それを間主観性からアプローチした点が意外で、しかしよく考えてみると物事の本質の一部分をとらえている、という感想を抱かれたのでしょう。
 このように、伊藤先生は、自分と違う考えや意見にも、常に心を開かれていて、「どうなんだろう」と思われ、考えられる方でした。
 理化学研究所を離れた後も、シンポジウムやお祝いの会などで、伊藤先生にお目にかかる機会がありました。
 お人柄の温かさ、やさしさ、おおらかさ、そして本質を掴む知性の鋭さは、いつまでも変わることがありませんでした。
 最後にお目にかかったのは、2015年の3月のことでした。
 いろいろとお話する中で、伊藤先生が、「大脳新皮質の計算論がまだないんだよなあ」とおっしゃっていたのが印象的でした。
 小脳の計算論は、デビット・マーのモデルである程度行けるのだけれども、意識を含めて、大脳新皮質の計算論がないのだと。  
 それ以来、折に触れ、意識の計算論はどのようなものになるのかと、考えてきました。
 またお目にかかっていろいろとお話することを楽しみにしていたのですが……。
 伊藤先生の突然の訃報に、いろいろな思い出がよみがえってきました。
 以上に記したのは思い出のほんとうに一部で、伊藤先生から受けたおおらかな印象、深いご恩は忘れることができません。
 神経科学の分野で偉大な足跡を残された伊藤正男先生。
 ひとりの人間として、ほんとうに大きな、素敵な方でした。
 ここに、生前にお受けしたさまざまな教え、海よりも深いご恩をふりかえるとともに、伊藤正男先生のご冥福を心からお祈りいたします。
 伊藤先生、ありがとうございました。
 どうぞ、安らかにおやすみください。

2018年12月20日 茂木健一郎



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2015年3月 伊藤正男先生と。