大英帝国の最大の遺産

 大英帝国最大の遺産と言えば、何と言っても、英語が国際語となったことである。もちろん、今日、かって大英帝国と呼ばれたものの実体は、跡形もなく滅んでいる。しかし、ローマ帝国が亡び、イタリアがヨーロッパの南部に位置する陽気な人々の住む国になった後も、長い間ラテン語がヨーロッパにおける「国際語」であったように、「大英帝国」が遠い過去の記憶になったあとも、英語は人類社会における「国際語」であり続けるだろう。たとえ、今日の世界における覇権を握っている国、アメリカにおいては、もはや「英語」が話されてはいないとしても!
 現代文明を特徴付け、それを推進する人類の知的営みは、物理・化学・生命科学などの自然科学である。そして、今日の自然科学における国際語は圧倒的に英語である。かつて、アイザック・ニュートンはその著書『プリンキピア』をラテン語で書いた。1859年、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を書いた時には、すでに英語で書くということが自然な発想になっていた。今日において、英語で書かれていない科学論文は、存在しないも同じことである。イギリスの『ネイチャー(Nature)』誌や、アメリカの『サイエンス(science)』誌は、自然科学の分野における最高の権威であり続けている。経済の分野においても、国際的な商取引は、英語によって行われることが圧倒的に多い。このような、科学と経済という、現代文明の二つのメルクマールにおける英語の圧倒的優位を反映して、国際的な会議、交渉、出版物等においては、英語が共通語として使われることが当たり前になっている。
 国際語としての「英語」の恩恵は、上のようなすぐに思い付くような実際的な側面以外にも、非常に広い範囲に及んでいる。その一つの重要な側面は、イギリスの文化の「過大評価現象」である。
 例えば、日本の大学で「英文学」(あるいはその親戚としての「米文学」)を専攻する人間が「仏文学」や「独文学」を専攻する人間に比べて多いのは、別に「英文学」が「仏文学」や「独文学」に比べて優れているからではない。単に、「英文学」が、たまたま、国際語である英語で書かれていたからである。良く知られた英文学の作品の中で、もしそれが例えばモンゴル語で書かれていたら、これほど知られていただろうかと疑わせる程度のものは少なくない。我々が、イギリスからのニュースを耳にすることが多いのも、別にイギリスからのニュースが重要だからではなく、単に、元ネタが国際語である英語で報道されるので、翻訳しやすいからである。英語圏以外の国の重要なニュースで、我々の注意を引かずに歴史の闇へと消えていくもののいかに多いことだろう!
 現時点において、翻訳は人の手を借りなければできない手間のかかることである。日本語と韓国語の間のような似たような文法構造を持つ言語の間では、ある程度「機械翻訳」が実現されているが、日本語と英語の間のような遠い言語の間では、コンピュータによる翻訳は実用レベルには達していない。現時点においてもなお、手間をかけて人間がいちいち翻訳していかなければならないのである。
 シェークスピアがこれほど世界的に知られるようになったのも、彼の作品の偉大さももちろんあるが、それが英語で書かれていたからである。近松門佐衛門があれほど深みのある世界を描きながらも世界的には無名に近いのは、彼の偉大な作品群が日本語という「一方言」で書かれているからである。もし、ビートルズがその歌をスワヒリ語で歌っていたら、彼らはこれほどの一大現象にならなかったろう。一方、井上陽水は、その素晴らしい歌の数々を日本語で、しかもしばしば翻訳不可能な詩的な繊細さで歌ったので、潜在的な国際マーケットを失ったのである!
 世界中の人々の意識の中で、イギリスという国の持つ存在感、その文化の持つ意味は、英語が国際語になったために実力以上のインフレを起こしている。「英語」という言語は、イギリスという国が持つ最大の知的所有権なのである。国際連合の特許局には、「国際公用語」として、「英語」がしっかりと登録されているのではないか!
 様々な時代に、人々が、母国語が何であるかにかかわりなく、お互いに意を通じるために用いる言葉を「リンガ・フランカ」(lingua franca)と言う。自国語がリンガ・フランカになればしめたものである。何しろ、自分たちが外国語を学ぶ苦労をしなくても、世界中の人々が勝手に自分たちの言葉を習得してくれるのである。習得するほどの熱意を持たない人間は、「彼らはインテリではない」と見下しておけば良い。たとえ、実際には単に英語ができるということに由来する見かけの知性よりもはるかに高度な叡智をその人たちが持っていたとしても。
 イギリス人は、たとえポンドが世界の弱小通貨になった後も、その「英語」という国際語になった母国語の配当を受取り続けるだろう。自国語が世界の共通語になってしまったことの経済効果には、計り知れないものがある。「アニメ」や「マンガ」のファンをのぞいて、自分たちの言葉が世界の中でほとんど通じることのない日本人には、想像もできないことであるが。
 
 イギリス人は、非常に旅行好きな国民である。しかも、その旅行の範囲は、地球上のあらゆる地域に及んでいる。 実際、イギリス人は、「世界一周」について語ることが好きである。基本的に、地球のどこでも、自分のテリトリーであると思っているところがある。
 H.G. Wellsの古典的名作「80日間世界一周」は、このようなイギリス人の「地球はどこでも自分のテリトリーである」という発想を端的に表している。この小説が書かれた時点において、イギリス人にとっての世界とは、松尾芭蕉のように一々風景に詠嘆しながらゆっくりと歩く未知の世界ではなく、すでに80日間でビジネスライクにひょいひょいと一周してしまう、「勝手知ったる自分の庭」だったのだ。
 ところで、イギリス人が世界どこでも旅行できるのには、極めて簡単な理由がある。それは、別に、イギリス人が特に好奇心が豊かだからでもなければ、イギリス人が特に冒険心にあふれているからでもない。ましてや、彼らの通貨(ポンド)が強いからでは決してない。それは、単に、世界の多くの国で人々が英語を喋るか、あるいは喋ろうとしているからだ。言葉に関して言えば、イギリス人にとって外国旅行は国内旅行の延長に過ぎないのであり、そこには言語的には何らの「未知との出会い」もないのだ。
 我々日本人は、「外国旅行」というと、未だに身構えてしまうところがある。しかし、もし我々がイギリス人と同じ立場だったと想像してみよう。すなわち、世界中どこへ行っても、基本的に日本語で用をたすことができ、しかも、日本語を知らない人さえ、片言の日本語を必死になって喋ろうとし、「日本語がうまい」と誉められたら、天にも昇るようなうれしい顔をするとしよう。もし、こんな状況が存在したら、世界どこへでも気軽に旅行することなど、全く簡単なことではないか。だから、イギリス人が気軽に世界を旅行することができても、そんなことは当然なことなのである。別に、大したことはない。
 「世界のどこでも自分たちが赤ちゃんの時から喋ってきた言葉が通じる」という認識に背中を押されて、イギリス人はどうやら漂泊の思いがやまないらしい。イギリスには、「ギャップ・イヤー」という習慣がある。高校生が、大学に入る前に約1年間世界を放浪するのである。その一年は、どの組織にも所属しないし、定職にも就く必要がない。
 そうは言っても、イギリス人が世界中のどこへでも、ひょいひょいと気軽に出かけていく様子には、うらやましいものがある。特に、「ギャップ・イヤー」については、日本でもぜひ導入してみてはどうだろうか。

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)