イギリスのパブについて

 イギリスというと、パブのことが思い出される。田舎の、どんなに小さな村に行っても、そこには必ず一軒のパブがあるのである。
 パブは、言うまでもなく、イギリスの生活文化の核である。パブに行くということは、イギリス人にとって、日本人が新年に初詣に行くのと同じような「愛国心」の発露の機会である。イギリスという国は、イギリス人は、パブに行っている限り、安泰である。イギリス人が、パブに行かなくなったら、何かとてつもなくマズイことがはじまったと思った方が良い。
 イギリスのパブについて、意外なことは、BGMに使われている音楽の趣味の悪さである。もし、音楽が流れているとすれば、大抵の場合、非常に安っぽいポップス系の音楽であることが多い。日本の感覚でいえば、一昔前の歌謡曲のようなものが流れているのである。従って、良いパブの最低条件は、余計な音楽が流れていないことである。もし、これから行こうとするパブに電話で問い合わせる機会があったら、「おたくでは音楽を流しているか?」と聞くと良い。
 古典的な渋いパブのイメージを求めている人にとって、BGMと並んで要注意なのが、ゲーム機である。スロット・マシーン、トランプなどの古典的なゲームから、クイズやシューティング、ストリート・ファイトまで、コイン式のゲーム機が置かれているパブは多い。これらのゲーム機は、暗く照明されたパブの片隅でちかちかと点滅している。その点滅は、趣味の悪いBGMとのコンビネーションによって、紳士が静かにビールを味わう場所というパブの渋いイメージを粉々に壊してくれる。
 しかし、ゲーム機や趣味の悪いBGMは、慣れさえすれば、それほどパブ本来の味わいを損なうわけではない。何よりも、これらの小道具は、今日パブを利用するイギリス人の生活実感に合っている。いくらパブに対する思い入れがあるとはいっても、外国人が、本家本元であるイギリス人が良いと思って整備したパブの環境に文句を付ける筋合いはないのである。何しろ、パブは、普段着で気楽にたのしい時間を過ごすための場所なのだ。

 何はともあれ、イギリスに着いたら、さっそくパブに行ってみよう。時代を経た木の質感と、抑え目な照明という、今日でもイギリスのパブを特徴付ける雰囲気があなたを迎えてくれるだろう。ビールを貯蔵してあるカスクの上のレバーに描かれたビールのブランドとそのトレード・マークを見て、あなたは自分の好みのビールを頼めば良い。注文の単位は、半パイント(pint)もしくは1パイントである。それぞれの分量用の洋梨のような曲線にくびれたグラスがあって、そこに注いでくれる。グラスには、「これは確かに半パイント(もしくは1パイント)である」ことを証明する、王冠のような刻印が入っている。グラスに刻印が入っているくらいであるから、バーテンダーは、きっちり定量を注いでますよと言わんばかりに、グラスの縁ぎりぎりにまでビールを注いでくれる。グラスは、大抵の場合沢山細かい穴の空いたプラスティックのプレートの上に置かれるから、あなたは慌てず騒がず溢れ出たビールがグラスの側面を伝わって流れ落ちてしまうまで待つと良い。そして、おもむろに一口飲んで、店の中を見渡す。暖炉のそばの心地よさそうな椅子が空いていれば、座ってもよいし、そのまま店の隅の暗がりに移動して、そこで静かにグラスを傾けてもよい。パブの中でビールを飲むという、聖なる儀式の始まりである。

 ちなみに、パブに友人どうしで行ったときには、一人一人が順番に全員の分のビールを買うのが習慣である。大抵の場合、何杯かづつ飲むので、パブを出る頃には、ちょうど均等割になるようになっている。もっとも、その頃には皆大分酔っているので、支払金額の少々の凸凹は気にならなくなっていることだろう。

 パブで出される食事は、いわゆる「バー・スナック(Bar Snack)」と呼ばれるもので、イギリス人の国民食、ポテトを中心とした極く簡単なものである。テーブルに座って食べる場合でも、まずカウンターで注文して、お金を払う。すると、後でキッチンから注文した食べ物が運ばれてくる。もちろん、チップはいらない。
 さて、あなたは、注文した味気のない料理を、塩、胡椒、イングリッシュ・マスタード、トマト・ケチャップ、酢などの助けを借りて、何とか平らげることになる。パブのバー・スナックは、基本的に、ビールの助けを借りて流し込まなければ、どうしようもない代物である。パブという場所がイギリスの文化状況を象徴すべきところである以上、パブの食事がまずくても仕方がない。
 ところが、最近、このようなイギリスのパブにおける食事事情に、変化が現れたようである。様々な雑誌に、「良い食事を出すパブ」といった特集が組まれ、そのような食事に引きつけられて遠くから「食事」に来る人々の様子が報道されたりする。各地の良いパブを紹介する本にも、どのような料理が提供されるかについての情報が掲載されるようになってきている。従って、様々な情報を総合すると、どうやら、最近はイギリスでもまともな食事を出すパブが増えてきたようだ。この現象を素直に喜ぶべきなのか、それとも、また一つイギリスの偉大な伝統が失われたと悲しむべきなのか、私にはわからない。

 パブの看板は、いわば、パブのシンボルであり、「御神体」である。パブの看板は、そのパブのイメージを形成する上で、重要な役割を果たす。行きつけのパブの看板には、愛着がわくものである。もちろん、パブの看板に描かれた絵は、芸術作品ではない。しかし、マグリットの「これはパイプではない(Ce n'est pas une pipe)」というキャプションが書かれた絵のように、絵にキャプション(すなわち、その絵に因んだ、パブの名前)が付加されることによって、パブの看板はしみじみと味わい深い「生活の中の芸術」になるのである。
 私の記憶に残っている、味わい深いパブの看板絵とキャプションのコンビネーションを挙げてみると、
「地球」(地球を背中で背負っているアトラス? の絵)
「掌中の鳥」(鷹狩りに使われる鷹が、手のひらにのっている絵)
「鷲」 (鋭い目をした鷲のプロフィール)
「羽を広げた鷲」(鷲が、羽を広げているところ)
「緑の男」  (顔が葉っぱでできた男の顔)
「赤いライオン」 (赤いライオンが、後ろ足で立ち上がっているところ)

 などがある。「緑の男」など、なかなかシュールで良いではないか! きっと、もし、宇宙の他の天体から地球に訪問者が来ることがあれば、彼らは、「緑の男」を訪れてビターをすすることによって、まるで故郷にいるように心を落ち着けることができるだろう!

 パブの中にいる時、イギリス人は、最もイギリス人らしくなる。もちろん、何がイギリス人らしさであるかは、時代とともに変わる。すでにロンドンには珍しくない「ゲイのパブ」も、今日のイギリス人のある一面を反映したパブである。ロンドンのとある教会の横にあるパブに入ろうとして、「ここはゲイの人のためのパブだけども、お前はそのことを知っているのか?」とたしなめられたこともある。ロンドンのゲイの人たちは、親切なのだ。
 そのうち、「ベトナム風パブ」や、「ゲーム愛好オタク用パブ」、「元王族用パブ」などが出現するかもしれない。しかし、パブを取り巻く環境がどのように変わっても、パブが、イギリスの文化状況を反映する鏡であることには変わりがないだろう。
 何はともあれ、今日でも、パブが、「バッキンガム宮殿」と並んで、イギリスの伝統をになう重要な文化施設であることは疑いない。日本では、田舎に住むことは、往々にして文化を諦めることを意味するという固定観念があるが、小さな村にイギリス風のパブがあるようになったら、随分そのような印象も変わることだろう。

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)