イギリスにおける日本料理店の謎

 イギリスの食生活についてここで私が提起したい謎は、イギリスには何故日本料理店が少ないのかという問題である。
 私の滞在したケンブリッジには、一切日本料理店はなかった。中国料理店はあったし、インド料理店はあったし、タイ料理店もあったが、何故か、日本料理屋はなかった。一般に、イギリスの都市では、「カラオケ(Karaoke)」という看板は見かけても、「ミカド」や「オオサカ」といった日本料理店の看板は見かけない。イギリスでは、トマス・クックに行けば必ず日本人に会えるというほど日本人があふれているのに、これは一体どうしたことだろうか? 
 最近でこそ、ロンドンで日本料理店がかなり増えてきた。将来的にはイギリス全土に広がっていくのだろうが、その歩みは遅々たるもの。最近も、ロンドンから来た若者二人と話したが、彼らは「生の魚」を頑として食べようとしなかった。イギリスの伝統文化と、日本料理の間には、深くて暗い溝があるかのようである。なぜ、イギリス人は日本料理に抵抗があるのだろうか。
 第一に、イギリス人は、外食にあまりお金をかけようとしないということがある。何しろ、通常のレストランにさえ割引の「お持ち帰り」サーヴィスがあって、そちらの方を選択する人が多いくらいの国である。フランス料理と並んで、高いことでは定評のある日本料理が、イギリスに根付くはずがない。それに加え、フランス料理では、ソースをぐつぐつと何日間も煮たり、鳥の腹の中にやたらと詰物をして焼いたりと、手間がかかっていることが一目瞭然なので、合理的なイギリス人は、このような手間に高い対価を払っても、仕方がないと考える。それに対して、日本料理は、素材になるべく手を加えないというのがその哲学だから、そのような目に見えないものをありがたがるという習慣のないイギリス人は、何故そんなものに高いお金を払わなければならないのかと考えてしまうのである。
 第二に、イギリスでは、一般に、新鮮な料理の材料を手に入れることが困難であるということがある。そもそも、イギリスでは、新鮮な料理の材料を手に入れるという目的に情熱を注ぐという習慣がない。というのも、イギリス人は、素材が新鮮である場合と、新鮮でない場合を区別できるような料理の仕方をしないからである。従って、どうせ料理すれば同じなのだから、わざわざ高いお金を出して新鮮な材料を買う理由がないわけである。イギリス人にとっては、鮮度を保つために、九州で朝採れた魚を空輸して夕方には東京の料亭のテーブルに並べるという日本人のやり方は、全くSFじみた奇妙な話であるように思われるだろう!
 何れにせよ、上のような事情により、イギリスでは、日本料理店はジンバブエ料理の店と同じくらい希な存在になっているのである。
 すでに触れたように、唯一の例外は、ロンドンである。イギリス人にとって、ロンドンで食事をするということは、美味のものを食べるというよりは、高いものを食べるということを意味する。従って、蝋燭の灯の下での食事の後、友人に何を自慢するかと言えば、いくらかかったかであって、料理がおいしかったということではないのである。(この辺りにも、イギリスの料理文化が発展しない原因を見ることができるだろう。)従って、高くて量が少ない日本料理を食べに行くということは、ロンドンに棲息するカルチャーがかった人にとって、大いに自慢になることなのである。ロンドンでは、イギリスで一般的に日本料理が根付かないのと正に同じ理由によって、日本料理が非常にファッショナブルな選択になりつつあるのである。

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)