辺野古への土砂投入が今日にも始まるとの報道だが、いくらなんでも乱暴だと思う。


きれいな海をわざわざ埋め立てなくても他にやり方があるのではないかというのが私の直観だし、そもそも、ただでさえこれだけ基地負担が大きい沖縄で、普天間をなくすためとはいいながら辺野古に新基地をつくることがどうなのかと正直思う。

普天間基地の移転に伴い、辺野古新基地がほんとうに必要なのか、それ以外に代替案はないのかどうか、軍事的なさまざまな側面は情報がすべて公開されていないから私にはわからない。

だから、辺野古新基地が必要ない、埋め立てに絶対反対、とまでは断言しない。

しかし、民主主義の合意形成のプロセスとしてはあまりにも無茶苦茶、乱暴だと思う。
つい先日、沖縄県知事選があり、辺野古新基地反対をかかげて玉城デニーさんが当選されたばかりである。

そして、政府は、「沖縄の方々の心に寄り添い」みたいなことを確か発言していたはずである。

基地建設は日米安保体制のことだとか、国政のことだとか、そういう議論がある。
確かに、そのような視点からは、辺野古新基地は必要なのかもしれない(重要な情報が開示されていないからよくわからないが)。

だからといって、その基地が置かれる沖縄の民意を無視していいはずがない。

ましてや、玉城デニー知事は来年早く(2月くらい?)の県民投票を計画されていたはず。

法的拘束力がないなどという議論があるが、沖縄の方の意向がどうなのかということを知ることは、民主主義の合意形成の手続きとして、必要不可欠なはず。

たとえ、住民投票の結果、新基地反対が多数を占めたとして、それでも基地を建設することが必要だというのならば、合意形成の手続きとして、政府は知事や沖縄の方々に丁寧な説明、対話を試みるべきであって、その結果、「わかった、辺野古の海を埋め立てることはつらいが、そのように日本の安全保障のために必要ということならば、今回は受け入れましょう」と納得していただいて始めて工事を始めるのが民主主義における当たり前のプロセスだと私は感じる。
「沖縄の方々の心に寄り添い」云々が、結果としてこのように強制的に土砂を投入することだとすれば、日本語の用法として全く間違っているし、民主主義のプロセスとして重大な瑕疵がある。

政府の方々は、仮にも民主主義を標榜しているのであれば、ご自身の良心に照らして、このような乱暴なやり方が21世紀の日本で通るものなのか、胸に手を当ててよく考えていただきたい。

日本の新聞、テレビにはあまり期待していないが、ちゃんと報道、検証していただきたい。

何よりも、土砂投入の映像、写真は、きちんと押さえていただきたいと思います。それを見て有権者がどう感じるかは、民主主義における重要な合意形成に資するので。

(クオリア時評)

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