ケンブリッジの偉大さの秘密

 

 さて、ケンブリッジは、何故、何百年にもわたって、人類の知的活動の一大拠点であり続けてきたのだろうか。言い替えれば、ケンブリッジという場所の「偉大さ」の秘密は何なのだろうか。

 重要なことは、ケンブリッジの学者100人のうち、99人までは、単なる凡人であるということである。残りの1人に、ケンブリッジが持つ名声は帰するわけである。従って、100人のうち99人は、小数の天才が築きあげた名声に「ただ乗り」していることになる。従って、ケンブリッジの学者は、そのほとんどがケンブリッジという場所の名声に値しないということになる。しかし、それでも、「100人のうちの1人」を生み出すところに、ケンブリッジの偉大さの秘密があるわけである。

 ある学者が言っていたことは、ケンブリッジでは、ある人間の奇妙な側面、並外れた側面がどんどん引き出され、拡大され、増幅される傾向があるということである。実際、ケンブリッジでは、ちょっとその気のある人間が、その奇妙な側面、並外れた側面を拡大、増長させる上で、最も効果的な周囲の励ましがある。すなわち、それは、無視されることである。(ここから先は、「独創性」を引き出そうと躍起になっている日本の諸研究機関の方々に是非読んでいただきたい!)

 何故、無視することが、「変人」の特質を引き出す上で効果的な励ましになるのだろうか? これは、考えてみれば、すぐにわかることである。もし、凡人に少々毛が生えたくらいの「変人」ぶりで周囲から「天才」呼ばわりされ、「特別」扱いされると、本人もその気になって、それで満足してしまう。自分が「変人」であることをある程度自負している人間にとって一番辛いことは、自分の発言や考えがあたかも他の「凡人」と全く変わるところがないかのように扱われ、挙げ句の果ては無視されることである。このような周囲からの「激励」を受けた「変人」は、きっと、より一層自分の変人ぶりを強調して、周囲にアピールしようとするに違いない。しかし、このような「本人の努力」にも関わらず、何事にも鈍感なイギリス人は、相変わらず「変人」を無視し続けるだろう。こうして、哀れな「変人」は、知らず知らずのうちに益々その「変人」としての特質を増長させ、その「変人」ぶりの中に没入し、次第にそのバランスを崩して行く・・・。そして、このような「バランスを失った変人」のうちの大多数は精神病院か監獄に入り、残りのわずかの人々が「天才」となり、林檎の落ちるのを見て重力の法則を発見したり、我々の遺伝子が紐が二本からみ合った形をしていることを発見したりするのである!

 

 ケンブリッジの郊外に住む私の知人の家の隣に、ケンブリッジ大学の新任の教授が引っ越してきたとき、知人はその教授が「変人」だということがすぐにわかったということである。知人の話によると、その教授が引っ越してきた翌日に、隣の庭から大きな声が聞こえてきた。その声が1時間くらい続いたので、知人はその教授が誰かと話しているのだと思っていた。しかし、午後のお茶を終えて庭に出た知人が見たのは、庭仕事をしている教授の姿だけであった。すなわち、その教授は、ずっと、大きな声で独り言を言っていたのである。私が、それは少し行き過ぎた話だと思ったので、「そんな変人が隣に住んでいて、困ったことはなかったか?」と聞くと、その知人は、肩をすくめただけであった。イギリス人にとっては、「変人」は、他の人生のやっかいごとと同じように、肩をすくめてやり過ごすべきものなのである。

 実際、イギリス人のほとんどが常識的で、退屈な人々であるという事実と、それにも関わらず、彼らが、彼らの中から時折現れる非常識な、退屈とは程遠い、「変人」に対して非常に寛容であるという事実は、一見馬鹿げたほど対照的であるように思われる。しかし、この、常識的な大多数による非常識な少数に対する寛容こそ、イギリスが持つ優れた文化的伝統の一つなのである。そして、このような社会的な「叡知」を、ケンブリッッジという組織も受け継いでいるのである。

 ケンブリッジの偉大さは、変わり者に対する寛容の中にあるのだ。

英国生活の達人.png


(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)