「偉大なる」ケンブリッジ

 ケンブリッジ(Cambridge)と言えば、オックスフォードと並んで、世界的に有名なイギリスの大学町である。
 ケンブリッジという名前は、町の中を流れるケム川(Cam River)に由来する。従って、ケム川こそが、この中世以来の大学町の中心であるということになる。
 ケンブリッジ大学の古いカレッジの多くは、ケム川沿いに建てられている。ケム川沿いは、言わばケンブリッジにおける「一等地」であって、ここに存在することが、カレッジにとって一つのステイタスシンボルなのである。
 このケム川は、日本の河川とはかなり趣を異にしている。まず、川の「肩」、すなわち、川の水の流れているところから、その周りの平らな草地につながる部分が、異様に滑らかであり、川とその周囲のはっきりとした境界がないように思われる。ケム川は「なで肩」なのである。この「なで肩」の川の存在が、ケンブリッジの町の印象を、非常にマイルドで、暖かいものにしている。
 川の水の流れも、流れていることに気がつかないほどゆったりとしている。ちょうど、印象としては、「細長い川の形をした妙な池」というものに近いような気がする。
 しかし、一方で、「なで肩」であるということは、少しでも雨が降れば、水が「溢れる」ことを意味している。実際、街中ではさすがに溢れることは少ないものの、ケンブリッジの街の南方にある「自然居留地」では、ちょっとまとまった雨が降る度に水が溢れ、森の中を縫って通る道がどろんこになる。ここは釣りのメッカでもあり、また周知の通り雨の降った後は最も釣りに適した条件でもあるので、釣り人たちは、泥まみれになりながら自然との対話に励むのである。
 というわけで、ケム川は、水が「ぎりぎり」の所を流れる、「なで肩」の、「細長い川の形をした妙な池」だと思っていればまず間違いない。伊勢神宮の内宮で、川の水で手を洗うところがあるが、ケム川における水の流れかたの「ぎりぎり度」は、この伊勢神宮の内宮に匹敵するものがある。
 重要なことは、ケム川は、決して溢れることがないから「なで肩」のまま放置されているのではないと言うことである。大雨が降れば溢れるにもかかわらず、「なで肩」のまま放置されているのである。
 むろん、日本とイギリスでは気候条件も異なるし、一概に論ずることはできない。しかし、いずれにせよ、日本の建設省の「常識」から言えば、ケム川は明らかに「治水工事」の必要な川に見える。それでも、「治水工事」をしないというところに、私はイギリス人の一種のインテリジェンスを感じるのである。

 ケンブリッジ大学は、オックスフォード大学についで、イギリスで二番目に古い大学である。オックスフォード大学の学生は、ケンブリッジ大学を揶揄するときに「湿地帯の工科大学(Fendalnd Polytechnique)」と呼ぶそうであるが、この必ずしも不適切ではない名前が示唆するように、ケンブリッジ大学は自然科学の分野で多くの名声を博してきた。
 例えば、近代科学の基礎である物理学を殆ど独力で作り上げたとさえ言えるニュートンは、ケンブリッジ大学でその研究生活を送った。現在、そのニュートンと同じ教授のポストについているのが、宇宙論で有名なホーキング博士である。
 しかし、今世紀の自然科学におけるケンブリッジの名を殆ど伝説的なものに高めているのは、間違いなく、今世紀の半ばに二人の遊び人の若者が成し遂げた「DNAの二重らせん構造」の発見である。この発見をしたワトソンとクリックは、その名を知らなければもぐりの科学者として博士号を剥奪されるか、あるいは天才的大物として尊敬されるかと言うほど有名なのである。
 そのような科学史上の事実はどうでも良いとして、「英国生活の達人」にとっての主要な関心事は、彼ら二人が遊び人であったということである。そして、それにも関わらず(あるいは、それゆえに?)彼らが、ダイナマイトを発明した人の遺産で運営されている賞をもらって金持ちになるほどの大成功をおさめたという事実である。
 彼らが入り浸っていたパブは、「イーグル亭(The Eagle)」といって、今でもケンブリッジのベネット通りに健在である。彼らが、このパブに入り浸っていた理由は単純である。このパブは、彼らが働いていた「キャベンディッシュ研究所」から歩いて三十秒の至近距離にあるからである。
 「イーグル亭」は、イギリス人について一つの重要な事実を教えてくれる。すなわち、イギリス人の多くが、勤勉で、実際的で、気違いじみたところの全くない、つまりは非常に退屈な人々なのに対して、イギリスで異常な成功を収める人々は、しばしば、不真面目で、風変りで、そして退屈とは程遠い人々であるということである。音楽で言えばビートルズの四人組が良い例だし、また、実業界で言えばヴァージン・グループを率いるリチャード・ブランソンが思い出されるだろう。国民の大多数が退屈な実際家であるにせよ、イギリス人が、彼らの中から時折現れる風変りな天才たちを容認し、イギリスの実際的な社会に受け入れる度量を持っているということは大いに賞賛されるべきである。それは、イギリスの社会がダイナミックに発展するための、一つの知恵なのかも知れない。
 というわけで、ケンブリッジの町には、風変りで、「妙な」学者が白昼からうろついていることになる。

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)