「爆死」にご注意!

 

 ロンドンで、「交通事故」の次にあり得る死にかたは、「爆死」である。

 ヒースロー空港に到着した旅行者は、空港のアナウンスが繰返し繰返し「荷物をどんな場合でも、あなたの身から離さないでください」と言っているのを聞いて、それを、悪名高い盗難に対する警告であると思うかも知れない。しかし、より注意深く聞くと、その後に、何か奇妙なことを言っていることに気がつくだろう。「もし、そのような荷物が発見されたら、それは、警察によって破壊されるかも知れません・・・」

 警察によって破壊される? まさか? 何のために? それは、イギリス人独特のブラックユーモアではないのか? 大抵の人は、そのように考えるだろう。

 むろん、「英国生活の達人」ならばよく知っているように、このようなアナウンスは、イギリスという国が、特にロンドンという都市が、常に爆弾テロの危険に曝されている地域であることを示している。そして、これらの爆弾を置いていく人々は、言うまでもなくグレートブリテン島の西にあるイギリス連合王国を構成するもう一つの島(アイルランド)に本拠地を持つ、アルファベット3文字で書かれるグループ(IRA)のメンバーである。実際、このアルファベット3文字で書かれるグループの人々は、実にしばしば爆弾を置いていくので、警察が、空港や鉄道の駅、デパート、さらには、五マイル四方に人のいない原野や、大西洋の一万メートルの海底に持主のいない荷物を発見した場合、それを爆弾だと考えることは、仕方のないことなのである。従って、あなたが荷物を柱の蔭に置いてちょっとトイレに行って帰ってくると、あなたの荷物を警官が三重に囲み、空港の中は人影一つなく、今まさにあなたの荷物が破壊される瞬間に遭遇したとしても、取り立てて驚くことではないのである。

 このように、ロンドンは、非常に爆弾の忘れものの多い都市である。そして、イギリス人は、奇妙なことに、「爆弾」さえも、その生活の一部としてしまう類希なる才能を見せてくれるのである。いわば、ロンドンは、「爆弾慣れ」しているのだ。

 私は、ある時ロンドンはウォータールー駅にあるカフェテリアで、朝食をとっていたことがある。私が、ぼんやりとソーセージをつついていると、突然何の前触れもなく黄色いチョッキを着た(第四章「黄色いチョッキ」の項参照)警察官が二人入ってきて、「非常に申し訳ないが、あなたたちは今すぐここを立ち去らなければならない」と言うのである。私が、「なんのことだろう」と思っている間に、他の通勤客たちは、慣れたもので、一言も喋らず、何の質問もせず、新聞をまとめ、残りのコーヒーを飲み干し、そそくさと立ち去り始めた。中には、残りのコーヒーを店員に持ち帰り用のプラスチック・カップに入れ換えてもらっている人もいる。その静かな様子は、まるで、入ってきた警官が、「閉店時間なので帰ってください」と言ったかのようである。しかし、朝のこんなに早い時間に、「閉店時間」が来るはずはない。事実は、もっと恐ろしい。爆弾(あるいは、爆弾のようなもの)が発見されたのだ!

 私は、内心の動揺を隠しながら、荷物をまとめて急いで外に出た。もちろん、ソーセージを半切れと、コーヒーを一口飲むのは忘れなかった! それでも、私の大切な英国風朝食(ベーコン、ソーセージ、ポテト、トマト、トースト)は、半分以上残ったままになってしまった! 五分後、ウォータールー駅の構内には、黄色いチョッキを着た警官以外には、人影が全くなくなった。朝の一番忙しい時間帯であるはずのウォータールー駅は、全くの空白地帯になってしまったのである。

 ところが、私がちょっと電話をして、さらに五分後に戻ってきてみると、なんと、駅構内には、人、人、人があふれているではないか! まるで、先ほどの爆弾騒ぎが、存在しなかったかのようであった。先ほどの大げさな「爆弾」の警告は、わずかな時間の間に解除されてしまったのだ。

 私は、まるで魔法にかけられ、今さめたばかりの人のように、ふらふらとウォータールー駅の構内を歩いた。駅のアナウンスは、盛んに「只今の処置は、持主のいない荷物が発見されたためです。どんな場合でも、荷物を放置しないでください。放置された荷物は、警察によって、破壊されるかも知れません。」と例の決り文句を流している。もちろん、この騒ぎの発端となった荷物も、破壊され、今ごろは持主が真っ青な顔をしていることであろう。ちなみに、私がカフェテリアに戻ってみると、私の朝食は、とっくにどこかへ片付けられていた。

 私の経験と対照的なのが、ロンドンで働く私の知人の経験である。彼は、ある時、銀行の中にいて、例のごとく警報ランプがなり、「避難してください」というアナウンスが流れたのだそうだ。銀行員は一斉に窓口のシヤッターを降ろし、人々は出口へと歩き始め、緊張した雰囲気が流れたそうである。しかし、その知人は長い列の中ですでに十分間も待った後だったので、わざわざ避難することもない(どうせまた「空騒ぎ」さ!)と、そのままその場で立っていたそうである。結論からいうと、彼は正しかった。数分後、窓口のシヤッターは再び開き、彼は不満そうに見つめる人々を尻目に、悠々と用事を済ましたのである。 つまり、私が爆弾で「損」をしたのに対して、私の知人は、「得」をしたのである!

 私や私の知人の経験が示すように、爆弾騒ぎは、その多くが「空騒ぎ」で終る。しかし、あなたが聞くのが「空騒ぎ」に終った話ばかりだといって、安心してはいけない。単に、「空騒ぎ」でなかった本物の爆弾事件に遭遇した人々は、今はあなたにその様子を伝えられないところにいるだけなのかも知れないのである!

 「未来世紀ブラジル」という映画がある。このSF映画の舞台となる近未来都市では、テロリストによる爆発騒ぎが日常茶飯事であるという設定になっている。あるシーンでは、レストランで爆弾が爆発し、人々が吹き飛ばされ、救急車が到着し、けが人が担架で運ばれていく。そんな中で、ボーイは急いでテーブルをセットしなおし、無事だった人々は、何事もなかったように食事を続けるのである。もちろん、これはブラックユーモアだが、私はロンドンの「爆弾慣れ」を目の当たりにして、思わずこの「未来世紀ブラジル」という映画を思い出した。ロンドンの「爆弾」を巡る状況は、この荒唐無稽な映画に負けないくらい、SFじみているのである。そう言えば、この映画を作ったのは、BBCで制作され、日本でもテレビ東京系で放映された「モンティパイソン」であまりにも有名な、ロンドンに住む、テリー・ギリアムなのであった!

 それにしても、「爆弾騒ぎ」を日常生活の一部として淡々とこなしていくイギリス人の様子には、感心するとともに呆れるところがある。

 (この文章を書いた後、イギリス政府とIRAの「停戦」が成立して、現在爆弾騒ぎは小休止しているようである)

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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)