連続ツイート2170回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は「誰にもあてはまることを考えよう」について。


とらわれてはいけないと思う。例えば、よのお母さまと話していると、うちの子は絶対に有名私立に入れて、有名大学に行かせる、みたいな方がいらっしゃる。我が子を想い、幸せを願うことはよいと思うけれども、それにとらわれてはいけないと思う。


実際に有名私立から有名大学に行ければいいけど、行けないこともある。また、世の中には、そもそも、有名私立とか、有名大学という人生のルートと無関係な人もいる。ぼくは、人がどのように生きるべきかという原理は、どんな人にでもあてはまることじゃないといけないと思っている。


英語は子どもの頃からやらなくちゃとか、やっぱり大企業じゃなくちゃとか、医者にならなくちゃとか、なんでもいいんだけれども、ある人生の目標、指針を言うときに、その人がそうできればいいけど、できないこともあるし、そもそも関係ない人もいる。だったら、誰にもあてはまる目標にならない。


ぼくが「偏差値」という愚かな指標を徹頭徹尾嫌いな理由の一つは、統計的にトリビアルなことだがゼロサム・ゲームだということで、社会のみんなが努力したら70になればいいのだけど、平均は50で必ず50以下の人がいる。「高い偏差値」という目標は、結局、誰にもあてはまる普遍的価値にならない。


誰かが声高に「人生こうじゃなくちゃ」と言っているときに、ちょっと待てよ、それ、君はそれでいいかもしれないけど、そもそも君だってそうなるかわからないし、そうじゃない人もいるだろうし、そんなの、普遍的な価値じゃないだろう、と批判的思考で検証すべきだ。


「今の自分でぎりぎりできるレベルに課題を設定する」「自分のいちばん内側の声に耳を傾ける」「欠点と長所が一体となった自分の個性をみきわめ、それを受け入れる」このような人生の指標は、どんな人にも当てはまって、みんなで進むことができるから、ぼくはそういうことだけを言うようにしている。


以上、連続ツイート2170回、「誰にもあてはまることを考えよう」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。


補足。「人生はこうでなくてはいけない」というのは、一種の「クラブ商売」、「脅迫商売」だと思う。いずれにせよ、ろくなものでない。


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