連続ツイート2160回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「世間をお騒がせするって、何?」について。


川崎市のヘイトスピーチをめぐる新聞記事がネットで流れてきて、「みっともない」とか「市民困惑」みたいな文字列が並んでいて、ああ、またこういうテンプレか、こういうこと書いているんだったら、ジャーナリズム要らないよな、と思った。


日本では、「世間」というものがあって、何かを主張したり、それに対する反論をすると、世間を「騒がせた」ことになって、それ自体が悪い、ということになりがちで、もともとの主張自体がどちらがどうなのか、という論理的な思考に行かない。


新聞やテレビといった日本のレガシーメディアは、思考停止の「世間」というものに寄り添ったふりをして、そもそもの主張の当否自体にはふれないで、「困ったものです」「お騒がせしました」などと書いておけばいい、というポジションを取ることが多く、つまりそれは何も報じていないということだ。

記者会見などでも、そもそもの問題の本質にふれることなく、「世間をお騒がせしました」という無内容の発言を頭を深々と下げて行って、それを新聞やテレビなどのレガシーメディアがまるで免罪符のごとく報じる、というテンプレは、もういい加減にやめたらどうか。


当該新聞記事で、川崎市のヘイトスピーチでイッシューとなっていたとされる外国人参政権や生活保護の問題をスルーして、ただ、「みっともない」とか「市民困惑」といった文字列を並べて何か書いている気になっているのは、ジャーナリズム以前だと言えるだろう。


もっとも、「みっともない」「市民困惑」といった文字列さえ並べておけば、思考停止の「世間」に属すると自分たちを自己規定している「サイレントマジョリティ」からは「共感」や「支持」が得られると思っているわけだから、世間というエコーチェンバーでの虚しい言葉のやり取りが続くのだろう。


以上、連続ツイート2160回「世間をお騒がせするって、何?」について、6つのツイートをお届けしました。


補足。「世間」という思考停止のエコーチェンバーで何か書いたり言っていたら、すんだ時代はとっくに終わって、これだけ破壊的イノベーションが世の中を変えようとしている今、いつまでも思考停止ですむと思ったら大間違いで、自分たちで考えて、きちんと議論するという姿勢を身に着けなかったらおしまいだしもったいない。


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