連続ツイート2159回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「日本映画は、オーディションをちゃんとやろう」について。


このところ、映画好きの間で、日本映画がどうすればもっと良くなるか、という話をしているときに、「オーディションをちゃんとやるべきなんじゃないか」という話になる。もちろん今でもやっているだろうが、もっとちゃんとやって、役に合う人を発掘した方がいい。


『エデンの東』の撮影は最終的にはジェームズ・ディーンが主役だったけれども、ポール・ニューマンと争ってオーディションしている映像が残っている。『ベニスに死す』でも、タッジオ役のあの美少年がビスコンティによってオーディションされている映像がある。ちゃんとしないといいものができない。


日本映画は、全体として見ると、もちろんオーディションやっていることもあるのだろうけども、事務所の力関係とか、テレビとかですでに有名になっているとか、そういうことで役が決まる印象が強く、そのファンには面白いのだろうけど、芸術やエンタメとしての映画のできとしてはいまいちになりがちだ。


日本映画の多くは、「ロッテン・トマト」の強烈な洗礼を受けていないことが多く、テレビなどが製作委員会に入ってお手盛りの宣伝番組とかやって、それなりにヒットしても、批評的にはどうなのかという厳しい視線がなかなか行かないから、ますますオーディションなしのお手盛り配役がはびこる。


批評性と、質の良いものをつくることは表裏一体で、オーディションはつまりは配役に対する批評性なのだから、それなしにつくっても、結局質の良いものができず、みんなが不幸になるという気がする。日本映画はこのままでいいのだろうか。


『カメラを止めるな』の成功に映画好きが喝采したのは、オーディションをちゃんとやるとか、ロッテン・トマト的な過酷な批評性にさらされるとか、そんなことなしに、お手盛りで一部のファンに向けてつくる作品が多い日本映画のよどんだ現状に一陣のさわやかな風を吹かせたからだと思う。


以上の認識は、映画好きならばほぼ共有されている感じがあるが、日本人は心根のやさしい人が多く、ひでえなと内心思っても言わない。ロッテン・トマトで5%とか、そういうひどい映画でも、テレビなどの世界では「傑作」されてしまう。でも、それじゃあみんなが結局不幸になるよね。


ハリウッド映画は、ミッション・インポッシブルのトム・クルーズのようにもちろん決まった配役もあるけど、容赦ない批評性と、オーディションとかいろいろちゃんとやることで、質をどんどん上げている。このままでは、日本映画は国内市場向けのよどんだ作品ばかりになる。批評性の嵐を吹かせよう。


以上、連続ツイート2159回「日本映画は、オーディションをちゃんとやろう」について、8つのツイートをお届けしました。


補足。良い作品にかかわると、ずっと、そのことを振り返って、「あの映画にかかわった」とみんなが幸せになる。ちゃんとつくらないと、結局みんなが不幸になる。ロッテン・トマトの過酷な批評性が日本に入ってきていないのは不幸だ。アートも同じで、酷評の嵐というリスクがないと作品もアーティストも腐る。


連続ツイートまとめ.png