連続ツイート2155回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「日本を愛するということのほんとうの意味」について。


新潮45が休刊になってしまったのは、ノンフィクションの発表媒体が一つなくなったという意味で残念なことである。その新潮45に連載させていただいた私の文章が、『新しい日本の愛し方』(新潮社)という本になっている。


この連載で、私は、日本の現状をいろいろ批判して、最後に、そんな日本を大きく愛で包む、みたいな展開になったのだが、日本の問題点をあれこれと論じることは、日本を愛するという感情、行為の中に当然含まれる。


日本が大切だから、もっと良くしたいから、敎育にせよ、入試にせよ、メディアにせよ、就活のあり方にせよ、足りないところ、だめなところは指摘して、もっと良くしようと思う。これは当然のことじゃないだろうか。現状をすべて良しとするのは、愛が足りない。関心が薄い。


グローバル化や、人工知能などで、日本を取り囲む状況は一変している。幕末から明治維新への変化と同じくらいの大変化が、メディアや、敎育などで起こらなくてはならない。そうでないと、日本は付加価値を生み出し続けられないし、幸せな生活も維持できない。


幕末の志士たちが当時の日本の状況を批判的に見たように(たとえば幕府のあり方)、今の日本の現状で足りないところ、だめなところを受け止めることは、日本を愛するゆえであって、今のままでいい、という方がむしろネグレクトのようなものだ。


日本を愛するということのほんとうの意味は、だから、批判的思考の中に見出されなければならない。個人も、一つの国も、そのポテンシャルを引き出す安全基地になるのがほんとうの愛であり、愛はその中に批判的思考を当然含むのである。


以上、連続ツイート2155回、「日本を愛するということのほんとうの意味」について、6つのツイートをお届けしました。

補足。現状に立ち止まってしまうと、本当に進歩がなくなる。それでは、みんなが不幸になる。一人の人間にせよ、国にせよ、本質は抽象的な領域にあって、少々変化したからといって揺らぐものではないのだ。


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