連続ツイート2152回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「日本はもう一度できるよ」について。


司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』では、もちろん、文明を発展させていく当時の日本の熱さが描かれているが、一方では日本の社会のシステムの弱点、欠点も描かれている。いわゆる「司馬史観」は、日本の全面的礼賛ではなく、冷静にさまざまなことを見ている。


いずれにせよ、司馬遼太郎さんが描く明治の日本は、すべてが普請中で、その中で、定まったシステムもなく、先人たちは必死に学んだ。定例よりもむしろ例外の方が重要であり、組織よりもむしろ一人ひとりの個性が活かされた。日本人にはそういうことができるということだ。


時代が流れて、日本は再び危機にある。特に敎育。小学校から、ちいちいぱっぱで薄っぺらな教科書を勉強して、使えない英語の能力を身に着け、偏差値入試で陳腐なペーパーテストの前で18まで前にならえ、みたいなことをしていたら、今の時代のグローバルなイノベーション競争に全く勝てぬ。


小学校のデイワンから、それぞれの好奇心に沿った探求学習をするべきであり、横並びではなく、できる子はどんどん先にいっちゃうべきであり、プロジェクトベースで、何かを成し遂げつつ学ぶというシステムを、構築して、その中を一人ひとりが自分のペースで進んでいくというかたちにすれば日本は輝く。


変に部分最適化されて陳腐な敎育システムが構築されてしまっていて、そこに偏差値ペーパー入試が張り付き、また、塾業界などがビジネスとして群がっているから、中学入試から始まって大学入試まで続く日本の敎育の陳腐硬化は、一見、動かしがたいように見える。


だが、そんなことはない。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いたような、偶有性こそが日常であり、ダイナミズムこそが命題だった時代に日本人がどう振る舞ったか、思い出せばいい。日本は再びできる。陳腐なシステムなど、いくらでも壊せる。このまま立ち止まって陳腐化のうちに滅びるのは運命ではない。


慣性の法則に従って思考停止のひとたちはいつの時代でもいるので、相手にしないで、現代の状況で学びは何が最適かを冷静に見つめて実践しよう。それぞれ走り始めよう。日本はもう一度できるよ。何度でもできるよ。頭の悪いひとたちの硬直にさよならして、ベスト・アンド・ブライテストの踊りを。

以上、連続ツイート2152回「日本はもう一度できるよ」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。


補足。日本人がもともと集団主義で、リスクをとれないのではなくて、単に時代状況で文脈がかわって振る舞いも変化するだけだ。日本人はむしろ、偶有性の海で泳ぐ能力を持っている。極言すれば、文科省の学習指導要領などガン無視して、今の時代に必要な学びを全速力でやってしまえばいい。


nounandemo
 
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