連続ツイート2150回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「偏差値のおろかさ」について。


世間の人と話していると、未だに偏差値がどうのこうのと言っている人がいて驚く。学校の評価も偏差値でやっている。愚かだとしか言いようがない。偏差値は、日本の敎育がいけてない、時代遅れであることの象徴だろう。


偏差値を出すためには、単一基準で数値をならべなければならない。多様な課題、多くの個性をもつ人間を、単一基準で評価できるなどという愚かなことを、なぜ日本の教育界は未だにやっているのか。レベルが低すぎて、話にならぬ。


スポーツを例にとろう。大相撲の白鵬関と、野球の大谷選手と、テニスの大坂選手を、どのように偏差値で評価するのか。できないだろう。当たり前だ。種目が違うんだし、一つのものさしで測ることができるはずがない。学びも全く同じこと。偏差値なんかで評価できるはずがない。


そもそも、「偏差値」で予想できる入試をやっている学校も悪い。東京の小学生に、ハーバードの偏差値はいくつかと思うと聞いたら、80、いや90じゃないかとかいろいろ言っているから、偏差値はないよ、と言ったらショックを受けていた。かように日本の教育界では愚劣なレベルの洗脳が広がっている。


日本の大学入試が、なぜ、点数で機械的に入れるようなかたちになっているかと言えば、それが一番手間がかからないからで、AOで本格的に一人ひとりの資質を見ようと思ったら専従スタッフがいる。予算措置や人員配置ができないから安普請の点数入試。その結果、偏差値という愚劣な基準が生まれる。


中学入試から始まって、高校入試、大学入試の「ペーパーテスト」単一基準による偏差値入試が、いかに日本の子どもたちの学習時間を奪っているか。本来プロジェクトや探求学習に使えたはずの機会費用まで考えると、国家的損失である。「偏差値」は、そのような日本の低レベル敎育の象徴だ。


「偏差値」などという、世界のどこでも使っていない愚劣かつ低レベルの指標を振り回して、子どもたちや一つひとつの学校の評価をしたつもりになっている愚鈍な大人たちの群れに、私は本当に腹を立てる。偏差値なんて、二度と口にするな。日本を二流国にしているのは、君たち愚か者だ。


以上、連続ツイート2150回「偏差値のおろかさ」について、7つのツイートをお届けしました。


補足。日本の教育界の絶望的な愚鈍さにサヨナラをして、新しい学びのあり方を模索している人たちが増えてきていることは、希望だと言えるでしょう。「偏差値」という言葉を信じている人は、それだけで全時代の遺物だと断定していいです。敎育界から、さっさと退場してほしいです。

補足の補足。「偏差値」という数値自体は統計的に意味がある、みたいなことを言う人がいるけれども、大前提として、何らかの単一なパラメータを設定して人を評価するということがある。だから、そのような単一パラメータによる評価自体が是認される、という前提がないとそもそもそのような統計的な処理自体が成り立たない。人間の複雑な能力を、単一パラメータで評価できると考えること自体が愚かだし、結局、偏差値で人を評価することだけでなく、偏差値を計算すること自体が愚かだということになる。皮肉と自己言及をこめて言えば、偏差値を重視する人自体が偏差値が低い。

補足3。それでも偏差値盲信から抜けられない人は、そんなものなしで敎育して学んでいる世界の各地が崩壊していないことを冷静に振り返ればいい。そんなものなくても、卓越した学びはできる。英語の検定試験なんて一切ないネイティヴスピーカーの卓越を考えればいい。シェークスピアが検定試験や偏差値と関係あるか。小さく前にならえのものさしを信じる人は単なるバカだ。




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