連続ツイート2141回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「伝統的メディアの構造的危機」について。


伝統的メディアが、構造的な危機にひんしている。まずは新聞。20代くらいより下は、全く紙の新聞を読まない。かつてのように、就活するために日経を読むふりをするということすらない。このままでは、紙の新聞は、人口動態の推移とともに縮小、消滅していくだろう。


次にテレビ。テレビを一切見ない人たちが多くなってきている。彼らはネット一般、そしてフールー、ネトフリ、プライムを見る。ビデオリサーチの視聴率調査は、テレビを見る層を母数としているが、その母数の社会全体に占める割合は明らかに低下してきている。


雑誌や単行本、とりわけ雑誌。伝統ある出版社の雑誌でさえ、ヘイトスピーチは社会的偏見の記事を載せていると話題になっているが、構造的に、そのような層しか紙の媒体を読まなくなってきている。より開明的な人たちは、他のメディアに移ってしまっている。


紙の雑誌を読む人たちが偏ることによって、雑誌はますます売るためにそのよぷなコンテンツになる。テレビを見る人たちが一部になることで、テレビは(ビデオリサーチの母数が偏った調査を参照しているから)ますますその一部の嗜好に合わせる。縮小均衡であり、ここにメディアの構造問題がある。

今年のエミー賞を見ていても、アメリカのテレビは三大ネットワークに加えてフールー、ネトフリ、プライムなどの新しい製作者が出てきて、内容、視聴者数両方で活況を呈している。日本では、このような新しい波に相当する動きが、乏しい。だから、メディア業界が貧すれば鈍すになる。


テレビにしても、雑誌にしても、今きているお客さんだけを相手にしていたら、縮小衰退の道をたどる。テレビや雑誌を見捨てて他に行ってしまった人たちを取り戻すか、その人たちを魅了するような新しいコンテンツを作らない限り、テレビや雑誌の中長期的衰退、コンテンツの劣化は避けられないだろう。


以上、連続ツイート2141回「伝統的メディアの構造的危機」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。


補足。雑誌などの内容が劣化していることについては、市場メカニズムの範囲内で、言論の自由があるということもできる。しかし、地上波テレビの劣化は、公共の電波という有限の資源の配分の問題なので、看過できない。

もしもっとまともなコンテンツを放送していたら得られたであろう日本人の知的向上という逸失機会を考えると、ほんとうに残念だ。

一般に、日本のテレビは視聴者の知的レベルを低めに見積もりすぎている。


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