はんなりは進化する。六代桂文枝さんの創作落語。

 

 茂木健一郎

 

 六代桂文枝さんの創作落語が好きだ。

 「桂三枝」の名前で活躍されていた頃から、テレビでそのはなやかで人を引きつける芸を拝見していた。その一方で、ほんとうにたくさんの創作落語をつくられて演じてこられたことに、心からの尊敬の気持ちを抱いてきた。

 今までつくってこられた創作落語は、いったいいくつあるのだろう。300に近くなっているのではないか。

 桂文枝さんの創作落語の百花繚乱に心を打たれるとともに、その情熱の泉はどのようにわいてくるのだろうと思っていた。

 

 ある時、偶然耳にした落語にはっとした。

 『船弁慶』。

 友人どうしのたあいもない会話や、舟遊びのはなやぎ、そしておかみさんとのやりとり、軽妙なやりとり。

 魅了された。

 演じていらしたのは、六代桂文枝さんの師匠さんであった、五代桂文枝さん。

 桂小文枝の名前で活躍されていらした時に、六代桂文枝さんは入門されて、桂三枝になられた。

 ああ、三枝さんは、このはなやかでふくよかな芸に惹きつけられたのだなと思った。

 

 上方落語は、はんなりとしている。

 人とひととのやりとりが、お互いの個性を立てて、受けつつ、響き合わせて、そこに話の華が咲く。

 五代桂文枝さんのお噺は「はんなり」の深くそしてはなやかな味わいがなんとも言えないものであった。

 その響きが、六代桂文枝さんの創作落語にひきつがれているのだと感じた。

 

  

 六代桂文枝さんが落語に目を開かされたのは、三代桂米朝さんの高座を聞かれたのがきっかけだったという。

 演芸界から初めて文化勲章を受けられるなど、その芸と人が高く評価され、愛された桂米朝さん。

 五代桂文枝さんと、三代桂米朝さんの芸の響きの中から、六代桂文枝さんの創作落語が生まれてきている。

 

 落語は、一人の演者が複数の登場人物を演じ分ける点に最大の特徴がある。

 時には対立したり、喧嘩したりすることがあっても、一人がそれを演じることで、そこにふしぎな調和が生まれる。

 最後は人情がすべてをつつみ、笑いのなかに溶けていく。

 軋轢が至福の中に分解されていく。

 そんな落語という芸術の可能性を象徴するのが、「はんなり」なのだと思う。

 

 五代桂文枝さんは、大阪の天神橋に生まれた。

 『船弁慶』や『三十石』、『百年目』といった演目に、はんなりとした人と人との関係が表現されている。

 「上方落語の四天王」と呼ばれ、大人気。テレビやラジオで活躍された。

 その一方で、落語の道に精進された。

 芸に厳しい人だった。

 三代桂米朝さんもまた、タレントとしてたくさんのテレビに出られて、大人気だった。後年の落語界の大「文化人」としての風格は、そのような経歴の中で培われていった。

 六代 桂文枝さんの芸も、五代桂文枝さんや三代桂米朝さんと同じような道をたどっている。

 「創作落語」という新しい分野において。

 

 「はんなり」を培ったのは、落語が育ってきた歴史の積み重ねだが、一方で人の世は流れ、変化する。

 「はんなり」は消えない。

 「はんなり」は受け継がれる。

 「はんなり」に託された落語の精神を運んでいくためには、現代の私たちの生活実感の中に、その心を注いでいかなければならない。

 

 『ゴルフ夜明け前』、『涙をこらえてカラオケを』、『大相撲夢甚句』、『父よあなたは辛かった』、『立候補』、『湯けむりが目にしみる』、「大・大阪辞典」、「ロンググッドバイ -言葉は虹の彼方に-」……。

 

 六代 桂文枝さんの創作落語から見えてくる光景は、私たちが生きてきた近現代の日本そのもの。そこには、ほっこりとするような安らぎがあり、時にはいらいらするような生活の中の行き違いがあり、しかし最後には人とひととが響き合う、ぬくもりとよろこびがある。

 

 「新作落語」に対して、「創作落語」という言葉には、六代桂文枝さんのその演目がずっと受け継がれ、語り継がれていってほしいという願いがこめられているという。

 

 今では古典となっている落語も、かつては「創作落語」だった。

 

 はんなりは進化する。六代桂文枝さんの創作落語は、「はんなり」の精神を、現代の私たちの生活という新しい「器」に注いでくださる。

 

 そのようにして、落語という「物語」は続いていく。

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