ぼくは、ずいぶん馬鹿なところがあって、長い間、冬でもコートとかジャケットを着ないで、セーターだけで歩いていた。
当然、寒かった。だから、腕をきゅっと小さく抱えて歩いていた。
ある時、突然、「ああそう言えば、世の中にはダウンジャケットというものがあったんだっけ!」と思った。
それで、ごわごわした感じのやつを買った。
そしたらとても温かくて、うれしくて、ぐるぐる歩き回った。
都内を、仕事の合間にずっと歩くようになったのは、その頃からだ。
今は、東京駅から渋谷でも、新宿から目黒でも、よく歩く。
ダウンジャケットのおかげだ。
そうやってうれしくて歩き回っていた頃、ぼんやりしていたら、街角に出ていた釘にダウンジャケットが引っかかって、バーッと裂けた。
それで、桜が舞い散るように、中のダウンが飛んだ。
歩くと、どんどん飛んでいく。
それで、びっくりして、近くのコンビニに入って、ビニルテープを買った。
黒いダウンジャケットだったので、黒いビニルテープを買った。
それで、やぶけたところに貼って、これでももう大丈夫だと思った。
時折、テープが外れそうになると、また上から貼り足した。
これで、ずっと大丈夫だろうと思った。
ある時、栗城史多さんの前でこのダウンジャケットを着ていたら、栗城さんがそれをじっと見ている。
「茂木さん、これ、どうしたんですか?」と聞かれた。
「いや、釘で引っ掛けて、中からダウンがでちゃったんで、テープで直したんです。」
「そうなんですか!?」と言いながら、栗城さんが笑っている。
とびっきりの笑顔で、笑っている。
それからしばらくして会った時、栗城さんは、何も言わずに、ダウンジャケットをくださった。
胸に「M」という文字があった。
ぼくはブランドとかよくわからないんだけれども、ぼくのイニシャルと同じだから素敵だな、と思った。
「栗城さん、ありがとう!」
釘で破けて、ビニルテープで修理したダウンジャケットは、弟子(当時)の植田工にあげた。
まだ、植田は、ビニルテープダウンジャケットを持っているはずだ。
以来、ずっと、栗城さんからいただいたダウンジャケットを着て、歩き回った。
軽いのに、温かい。ふわふわしている。ぼくが着ていた、ごわごわしたダウンジャケットとは、ものが違う。
どんな時も、晴れの日も、雨の日も、栗城さんのダウンジャケットを着て、歩いていた。
釘には引っかからないように、気をつけて歩いた。
いつの間にか、胸の「M」のイニシャルが薄れて、消えて、真っ黒のダウンジャケットになった。
軽くて、温かくて、唯一無二のダウンジャケット。
昨日、栗城さんが、突然、亡くなった。
エベレストで、悪天候になり、下山途中に亡くなられた。
信じたくなかったが、どうやら、栗城さんは本当にエベレストの上の星空に行ってしまったらしい。
ぼくは、栗城さんのダウンジャケットを取り出してみた。
はおって、栗城さんのやさしさを思い出す。
あの時、ほんとうに、何でもないように、覚えていてくださって、さっとダウンジャケットをくださったんだよな。
とびっきりの笑顔で、さりげなく。
やさしさや、志は、そよ風のように一見何気ない姿をしている。
やわらかくて、軽くて、ふわふわとしているように見えて、実はどっしりと重く、芯が通っている。
栗城史多さんは、そんな人だった。
ぼくが生涯に袖を通すダウンジャケットは、二つ。
一つは、ぼくが自分で買った、ごわごわのやつで、釘を引っ掛けて破ってしまって、ビニルテープで補修したもの。
これは、今、植田工が持っている。
もうひとつは、栗城さんがくださった、大切な、黒のダウンジャケット。
ダウンジャケットって、何年持つのかわからないけれども、ぼくは着続ける。
釘に引っかからないように気をつけて、着続ける。
万が一、ぼくがまたぼんやりしていて、釘に引っ掛けて破ってしまったら、また、ビニルテープで補修して着続ける。
何度も釘に引っかかっても、だいじょうぶ。
ビニルテープは、たくさん売っているから。
そうやって、栗城史多さんのやさしさを、ずっとまとって、これからの人生を歩いていきたいと思う。
栗城史多さんと、人生という「冒険の共有」をします。