茂木健一郎『今、ここから全ての場所へ』(筑摩書房)より。

 

 人類は他の生物に比べて幼い部分を残したまま成熟するように進化しているという「幼形成熟」(ネオテニー)の考えは、生物学上のテーゼとしては公式的に認められるかどうか、微妙な線の上にある。しかし、その「あわい」の中にこそ、むしろこの考えの本来の魅力とポテンシャルがあると私は思う。「子供の領分」を守ることがより人間らしい生を充実させることにつながるという、必ずしも科学主義に着地しない逆説の中に、しっかりと味わうべき何ものかがあると感じるのだ。

 私たちの経験に照らして考えれば、分別ぶった大人よりも、少し子供っぽいところを残している人の方が、人間のあり方としては心を惹かれるようだ。どのジャンルにもあてはまることではあるが、画家の例を二つ挙げよう。展覧会での岡本太郎は、人の目など気にせずに、興味を惹かれた絵を真正面からぎょろぎょろと睨みつけたそうである。丸木スマは、七十を越えてから初めて絵筆をとり、幼女が夢見るような素朴な世界を描いて院友にまでなった。酸いも甘いも噛み分けた大人でありながら、同時に子供らしいところを残している。そんな人間のあり方は、私たちを魅了してやまない。そこに立ち現れている可能性が何なのかを見極めてみるべきなのではないか。

 他人の心を慮ることを知らないガキのふるまいには腹が立つ。一方、良い意味での子供らしさは、人の心の機微を知る成熟と両立するはずだ。いかに美しく福音的な形で子供の精神を保つか。その一点に、この地上での営みを生き生きとしたものとし、「他者」に対する関心と配慮をみずみずしいものとして維持するための秘儀が託されている。

 戦争と平和、経済的格差、司法制度、国家、教育制度、近隣諸国との関係といった、物知り顔の大人がどこかで何回も聞いたようなありきたりの言葉を吐きがちな領域において、いかに子供の純粋さと新鮮な視線の切り口を保つか。生硬な正義感や、一見地に足が着いていないかのような理想主義を、魂の中でしっかりとした生息場所の中に確保する。デジタル資本主義の下、時給いくらの世界でこつこつと働く人と、ヴァーチャルなお金の操作だけで何百億と儲ける人が共存する。心ある人ならば深く脱力せざるを得ないような昨今の事態にどう自分の魂を対置するか? あたかも、自分が世間知にまみれていない一人の子供であるかのように世界と向き合うことが、最もラジカルな思考に通じることを銘記せよ。現代のカントは幼き子の顔をしているのではないか。

 最近、必要があってモーツァルトばかり聴いている時期があった。家で仕事をしながら聴き、街を歩きながら携帯用プレーヤーでシンフォニーに親しみ、DVDでオペラを見た。音質が悪かろうが気にはしない。楽友協会ホールの立ち見席でウィーンの若者たちと一緒に木の床に寝ころびながら聴いたモーツァルトも良かったが、東京の雑踏の中でノイズに脅かされながら聴くそれにも独特の味わいに変わりはありはしない。

 モーツァルト漬けを二週間ほど続けていたある日、ふと気付いた。かつてないほど気分が高揚し、精神が明晰になっている自分がそこにはいたのである。大抵のイヤなことならば、耐えられそうだった。世の中に溢れているネガティヴな事柄に対して、そう簡単には揺るがない「愉悦」の皮膜ができあがり、自我を守ってくれる免疫として機能しているように感じた。普段ならば自分を脅かすであろうものたちが、あたかも災厄の存在にさえ気づかぬかのようにさっと素通りし、やさしく放っていてくれる。そんな印象を持った。

 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトその人の人生は、必ずしも美しいとは言えぬ様々な波乱に満ちていた。パリ滞在中に、母親が死ぬ。父親がショックを受けないようにと、まずは「ママが病気になりました」という手紙を送り、その後で「亡くなりました」と知らせる気遣いを見せる。著作権といった概念のない時代、いくら作曲しても支出に追いつかない生活の中、借金を重ねる。その死は顧みられず、無名の墓に埋葬される。浮き沈みの激しい人生の軌跡の中で、時には地獄をさえ見たに違いないこの芸術家の作品には、しかし、重力の魔から解放されたかのような天上の気配が漂う。地上に降ったばかりのヴァージン・スノウに通じる無垢の明るさが放射している。

 モーツァルトの奇跡の本質は何か。もしそれが、常人から離れた天才の業として私たちの人生から隔絶したものであるだけならば、心をこれほど動かされることもなかったであろう。むしろ、あれだけ苦労をした人間さえもがあのような明るさを呈することができるという、その魂の成分の化学(ケミストリー)にこそ、私たちは新鮮な驚きを感じ、自分の中にもそのような場所につながる何かがあるに違いないと、そこはかとないあこがれに満ちた親しみを抱くのである。

 歌劇「魔笛」の中で、パパゲーノとパミーナが手を取り合って逃げようとし、そこに悪者たちが襲いかかる。昨今の国際情勢にも通じるようなこの世の中の「リヴァイアサン」=怪物性のうごめき。どこかの国の大統領のごとく、物理的強制力をもって敵をねじ伏せようとするのが現実的な対処法なのかもしれない。しかし、モーツァルトの場合は違う。パパゲーノが困って魔法の鈴の音を鳴らすと、なぜか悪者らは「なんて素敵なこの響き」と歌いながら踊り出し、どこかへと消えていってしまう。モーツァルトは一つの魅力的な旋律に延々と依存するような作曲家ではない。その素晴らしい瞬間は、あっという間に過ぎ去っていってしまう。馬鹿らしいといえばこの上ない。だが、そのような素朴な世界をこそ、子供の頃の私たちは夢見ていたのではなかったか。

 モーツァルト自身はオペラの台本など他人任せで、特にポリシーもなく作曲したと思われがちだが、注意深くその作品をたどってみれば、そこには一貫した意志がはっきりと感じられる。『フィガロの結婚』は、身分を超えて変わることのない人間の愛の本質を描く。『後宮からの逃走』では、トルコの太守がとらえたヨーロッパ人のカップルを解放する。単なる好色と誤解されがちなドン・ジョバンニは、相手を選り好みすることなく惜しみなく愛を降り注ぐ福音の徒でもある。影響を受けたというフリーメーソンの思想を持ち出すまでもなく、モーツァルトはその作品の中で一貫して無差別・普遍の愛を説いているのである。

 モーツァルトの明るさは、世知辛い「大人」の間に置いてみれば尋常ではないように思われる。それは、古来稀なるものであるようでいて、実は誰でも知っている世界でもある。私たちは、皆、生まれ落ちたばかりで、この世界が至るところ不思議と希望に満ちていた時のことを、それぞれの胸の内に秘めたプライベートな神話の中で覚えている。暖かな母の胸が自分にとっての全世界であったあの頃の、「タブラ・ラーサ」(「白紙」)が持っていた明るさに通じるものを、モーツァルトの音楽は秘めている。私たちは皆、一人残らず魔法の鈴の音に包まれて生まれてくる。だからこそ、モーツァルトの音楽は胎内で母の声を聴くかのような既視感を伴って感謝されるのである。

 生まれたばかりの私たちは、他者の愛に頼らなくては生きてはいけない。お腹を空かせて泣いた時、その人が生命の糧を与えてくれなければ、命を長らえることができない。やがて、私たちは立ち上がり、少しずつ歩み始める。世界との行き交いの中で時にひっかかり、躓き、よろめきながらも様々なことを学んでいく。その過程で、時には退屈を覚え、煮詰まりや閉塞感を抱きながら、私たちは少しずつ現実に汚れていく。仕方がないよ、と思いこまされる。学ぶということは、世間の常識に染まるということと裏腹の関係にある。学習しながら、それを忘れるということを生涯の最後まで貫くことは、少数の「選ばれし者」だけに許された僥倖なのかもしれない。

 それでも人生の新たなステージに入り込む度に、私たちはつま先立ちでこれから来る時間を見つめて、そこに誕生の原初の風景と同質の白く透明な光を見る。その光は、誰にとってもなじみ深いものであるはずだ。小学校の入学式の日に、これから始まる「学び」という新しい人生の事態に不安の入り交じった希望を持たなかったものなどいまい。クラス分けされ、教室に入り、初めて言葉を交わす仲間たちと遭遇する。真新しい教科書を受け取り、その紙の匂いを嗅ぐ。全てが新鮮で、鼻の奥がつんとするようなリアリティを持つ。あのような「空白」の中にこそ、生きることの実感はある。

 原初の地に立つことは、子供だけの特権ではない。私たちは、人生の節目に新しい環境に飛び込む度に、そこに未だ手つかずの未踏の地が広がっているのを感じ、その空白に向き合う喜びに心を震わせる。中学、高校、大学、成人式、社会人。初めてのデート。新しい事態に出会う度に、私たちは「今度こそは違うはずだ!」と胸を弾ませる。そこで幻視されているものがたとえやがて消えてしまうものだとしても、そのようなまぼろしなしに、人間としての生命を全うすることなどできるはずがない。

 人生の不幸はいろいろある。最大の悲劇の一つは、真白き希望を持って始まったはずの新しいステージが、やがて手垢がつき、くすんだ色になっていってしまうプロセスの中にあるのではないか。無であるからこそ豊かに広がっていた空白に、下手なものを満たしてしまうこと。そのような誰にとっても心当たりのある事態を通して、また一人陳腐な大人が出来上がっていく。社会の中の矛盾など仕方がないと嘯く厚顔ができあがる。何ともったいないことか。全ての子供は天才である。子供は、どんなことも当たり前のこととしては受け止めない。子供であれば揺れ動く。誰でも一度は子供だったはずである。

 現実との折衝の中にいつの間にか魂を摩耗させ、遠い国の戦争を伝える新聞記事をあくびしながら読み飛ばし、罪を犯した者をあいつは俺たちとは別だと切り捨てて顧みない。もし、全ての大人がそのような陳腐な素材で魂を満たしていくのだとすれば、この世の中はなんと詰まらない場所なのだろう。

 モーツァルトに限らず、偉大な芸術が人類に与える恩寵は、「それが何で満たされるのだろう!」という空白に対する希望が、何らかの具体によって充足された後でも生き続けるという点にあるのではないか。そこにほろ苦い失意が生じるのではなく、むしろ一瞬毎に充足されていく喜びが並べられていく。かつて、相対性理論によって物理学に革命をもたらしたアルベルト・アインシュタインは、「死とはモーツァルトが聴けなくなることである」といと言明した。モーツァルトをはじめとする芸術の本質が、未来の空白への希望をそれと等価なもので時間を埋めていくことであるとすれば、アインシュタインが表明していたのは人生そのものへの愛だったのだろう。

 

 美しいものに囲まれていると、心が荒れることはないとしばしば言われる。街を美化することによって犯罪を減らそうという運動がアメリカにあると聞く。そのような現場で立ち現れているのは、もちろん、治安を良くするための実際的作用である。その一方で、美化運動の成果が表れたはずの通りを何気なく歩いているティーンエージャーの心の中にさえ芽生えているのは、形而上学的な何ものかへと通じる力でもある。その天上的にして永遠なるものが、この世については何も知らぬ幼子の微笑みの中にあるとしても、何が驚くことがあろう。

 どんな天才の創作物でも、白紙の状態から立ち上がっていく人間の成長過程に比べれば何ほどのことでもない。創造は、例外的事象ではなく、むしろ人生の時々刻々に満ちている。創造性に関する私たちの理解は、未だ、ルイ・パスツールが微生物の自然発生説を否定したあの歴史的実験以前の段階にある。クリエィテヴィティとは無から有が生み出されることであると思いがちだが、実際には自然は飛躍しない。何か新しいものを生み出すということは、過去の記憶を思い起こすことに似ている。作品を紡ぐ素材は、自らの体験のアーカイヴの中にある。だからこそ、作品に人が顕れると世には言う。

 もしそうならば、美しい作品をつくった人は芯まで美が詰まっていると考えるのが自然であろう。体験が創造の母であるはずなのにもかかわらず、作品にはその雑味が痕跡さえ残さない。そこにこそ、味わうべき逆説がある。モーツァルトの人生の中で彼が舐めた数々の辛酸を思うとき、あのような作品群が生み出されたという事実の内には掛け値なしの奇跡があるように感じられる。

 モーツァルトとは凡そ関係がないと思われるような場所で、同質の無垢に出会って魂を不意打ちされることがある。学生時代、郊外の予備校でアルバイトしていた時に、そのようなものに出会った。それは、何の変哲もない寿司屋だった。初老の夫婦二人でやっているその店は、シャッターがいつも下りているような商店街の真ん中にあって、何時訪ねても客がまばらだった。予備校の校長が、時折、「金相場で儲けた」などと言っておごってくれた。カウンターのガラスケースの中のネタは、心なしかひからびているように見えた。口にすれば曖昧な味がした。

 ある時、授業を終えお昼時に一人で入った。お世辞にも美人とは言えないおかみさんが、奥の三畳に座ったまま顔を上げた。黒縁の眼鏡の牛乳瓶の底のようなレンズの向こうから、おかみさんがにたりと笑った。どうやら、客が来なくて暇なので、一人でジグソーパズルをやっていたらしい。生活の心配などいくらでもあるだろうに、その笑顔には一点の曇りもなかった。

 あの時、私はあの不細工なおかみさんを愛してしまったのかもしれないと思う。その後、店に行くことは二度となかったし、その郊外の街からも足が遠ざかってしまって、おかみさんの笑顔を見ることはなかった。でも、あの微笑みは忘れられない。年齢からしてもはやこの世の人ではないかも知れぬが、天国でも日だまりの中でジグソーパズルをやっていると信じたい



 モーツァルトの芸術の奇蹟に戻ろう。二十二歳の時にパリで作曲された「フルートとハープのための協奏曲」は私が一番好きな作品の一つである。暖かな日差しの中で花がふくよかに咲き乱れ、この世が一瞬天上の華やぎを得るような、あるいは、掛け値なしに魅力的な人物に出会った時に胸の中を春風が吹き抜けるかのごとき、そのような慈愛に満ちた奇蹟への予感がモーツァルトの音楽の中にはある。 

 モーツァルトが幻視していた一点の曇りもない青空が、寿司屋の牛乳瓶のおかみさんと無関係だとは思えない。一見隔てられてしまったこの世のものの間に通底する普遍的な愛を見るのがモーツァルトの魂だとすれば、おかみさんのやっていたジグソーパズルをやさしく包み、その子供の領分を守る意志を私も受け継いでいきたいと思う。

 子供のまま成熟する。そのような奇蹟の人が生まれてから、今年で250年になった。