学習の本質はすでに脱学校化しているが、問題は、カリキュラムのユニバーサルアクセスと、達成の外部評価の標準化、そして人間の認知バイアスだろう。課題の見極めと鍛錬の自己管理ができる人にとって、学校はすでにオプションでしかない。世間においてはそうではない。そのギャップをどう埋めるか。


edXのようなMOOCにおいては、グレード(それをもしつけるならば)の計算が課題で、一つのやり方はお互いに評価するソーシャルなやり方だが、そこに、いかにinstructorの専門的視点を入れるかがポイント。すぐれた評価は学習の結果だから、bootstrapして評価者の評価も高めれば良い。


Apple PencilとiPadの組み合わせはすぐれているが、紙や鉛筆にはある「ひっかかり」の感覚があるとさらに良いだろう。ガラスの表面に描くというのはアーティストにとって最適化された体験ではない。しかし、ホックニーはそのようなことを気にせずにiPadアートを発表し続けている。


人工知能の危険さとしてしばしば持ち出される「ペーパークリップを作り続ける」人工知能は、評価関数の行き過ぎた単純化の一つの揶揄である。その領域から外れるためには、人工知能ではなく、人工生命を研究しなければならない。人工生命>人工知能。多様性、共生、生態学的考察。


スマートスピーカーは、音声認識の技術によって、設置された家庭(例えば数百万世帯)のリアルタイムの視聴率調査ができる。飼っているペットの数や種類もわかるし、話題になっている言葉のトレンドもわかる。いつでも起動できるということはつまり24時間の音声分析を前提にしている。



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