内田百閒の『阿房列車』シリーズは掛け値なしに素晴らしい。特に『第一阿房列車』の最初のエッセイは神品である。ユーモアと、自分や他人を客観的に見る目と、事大主義ではなく、一見取るに足らないくだらないことにこそ無限の人生の味わいを見る。随筆の鏡。私はヘビロテで何十回読んだかわからない。


映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンの素敵さについてネタバレしないで語るのは困難だがやってみる。あれは、結果として、失われた時の隠された意味に覚醒するというメタファーとなっている。少年が映画技師と過ごした時の意味が、甘い復讐となって人生に福音をもたらすのだ。


『ジャンニ・スキッキ』は、プッチーニが完成させた最後のオペラ。「私のお父さん」が有名で、この上なく美しいアリアだが、一幕もの、約50分のうち、古典的なメロディーで響くのはこのアリアだけで、後はずっと現代曲風の音楽進行である。突然アリアが降臨して去っていくのが素晴らしい。


ピーテル・ブリューゲルの『雪中の狩人』は、調和のとれた人間の生活の営みを描いていて、タルコフスキーの『惑星ソラリス』の重要な場面で印象的に使われている。文明が発達したポストシンギュラリティの時間から振り返ったとき、かつて人間はこうだったのだと想起される甘美なイデア的世界。




小津安二郎『麦秋』には印象深い場面がたくさんある。原節子演じる娘の結婚が決まった後で、上司がお見合いさせようとしていた男が座敷に来ているというのでそっとのぞきに行くシーン。「お婿さん一人でたくさん」だけど、見に行く。あったかもしれないもう一つの人生。「偶有性」を描いて見事である。


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