山陰には、それほど何回も行ったわけではないが、訪れる度にいつも独特の空気感に包まれる。


 私にとっての山陰には、いつも明るい「心残り」がある。奥底にまで滲み入る大切な魂の糧であるにもかかわらず、残念ながら今までの人生の中で十分に親しみ尽くせなかったもの。そのような日常の中で忘れかけていた得も言われぬクオリア(質感)が、山陰の地には満ちているのだ。


 鳥取駅から山陰本線に乗り、ゆったりと春爛漫の緑野を行くと、東京ではもう散ってしまった桜が満開で並木をつくる。ぽつりぽつりと民家が見える山裾の心地よい日だまり。こんな風景がまだ日本にあるなんて、と魂が猫踊りをしているうちにいつの間にかうとうとした。


 今年の桜は、十分に味わうことができなかった。花見の季節は雨ばかりだったし、仕事も忙しかった。その心残りが今こうして山陰の地に実体化しているのだろうか・・・。


 ふと気付くと、ホームの標識に「餘部」とある。はっとして、立ち上がり、窓の外を見ると、列車がちょうど余部鉄橋を通過した。


 以前、京都から山陰本線を北上した時には福知山で乗り換えて天橋立に行った。余部まで足を延ばしたかったが、果たせなかった。だから、名高きトレッスル橋を渡るのは生涯初である。架け替えの計画があるようだから、上から家々の屋根を見下ろす風景を目に焼き付けることができたのは僥倖だった。


 それにしても、なぜあの時ふと気付いてホームの標識を見たのか、不思議である。うとうとする中で、脳裏に浮かんでいたのは桜花のことばかりだったのだが。


 香住駅で降りた後も、余韻で何だかぼうとしている。曖昧な顔つきで、車に乗り込んで大乗寺に向かった。


 円山応挙とその弟子たちの襖絵が沢山あるので、「応挙寺」とも呼ばれている。名高い寺だが、やっと訪問の熱望を果たすことができた。


 車を降りて、真っ先に目に入ったのは、石垣の上のしだれ桜。ここにもまた、心残りが追いかけて来ている。山門をくぐると、大きなクスノキがある。樹齢1200年。応挙一門も、かつてこの大木を見上げたことは間違いない。


 案内されて、お茶をいただき、お寺の由来を伺っているうちに、何だか自分の吸っている空気の粒までが古色を帯びてきたように感じた。


 農業の間、孔雀の間、芭蕉の間、山水の間と続けて襖絵を拝見して行く。金箔を張り、その上から見事な技法で孔雀と松を描いた応挙の作品。美にのめり込み、心を砕く際の人間としての強度が、現代に住む我々とはそもそも違うのではないか。今では想像するしかない遠い日々の人々の矜恃に想いを致す。


 岡倉天心が東京美術学校を設立した頃の日本画の絵師たちは、毎日何千本も線を引く練習をしていたと言う。その話を私にしてくれたのは、「末裔」であるはずの東京芸術大学の学生だが、その彼にとっても、筆一本の動きに全人生をのせていく真剣勝負の時代の息吹は、もはや神話の世界に属するものらしかった。


 もっとも、現代の私たちの生命力や美意識そのものは、必ずしも致命的な形で衰えているはずもない。その証拠に、応挙の前に正座すれば魂がちろちろと炎を立てて燃え始める。忘れていた心残りがもぞもぞと動き始める。だからこそ、私は大乗寺に巡礼している。応挙の描いた孔雀の羽根を、食い入るように見つめている。


 人間の創造性は、それを発揮して定着させるスペースなしでは、花開くことができない。かつて、1億年以上にわたって地球全体が氷に覆われた「スノウボール・アース」と呼ばれる時代があった。それが終わった6億年前のカンブリア期に、さまざまな生物種が一斉に進化した。氷が溶けた地球上に誕生した「成長のためのスペース」を、生きものたちは自らの命を様々な方向に展開することによって埋めていった。私たち自身が、そのような生命力の爆発の果実である。


 江戸時代の絵師たちにとって、自らの「描きたい」という思いを受け止めてくれる設いは何よりも大切なものだったのだろう。農家の次男に生まれ、狩野探幽の流れを引く一門に学んだ応挙。その応挙に入門した数々の弟子たち。遠い日の芸術家たちが胸の中に秘めていた情熱や夢が、大乗寺の座敷のような表現の場を与えられることによって一気に開花する。私が前にしていたのは、春が来る度に美しい花を咲かせ、そしてやがて散らせる桜の樹と同じ、生命の狂おしい作用の結実だったのだ。


 山陰本線の沿線には、都会にはなくなってしまったくつろぎを醸成するスペースがあった。現代において、魂の奥底に届くような美を育むために、王道は恐らくは一つしかない。魂の灼熱が形になるようなニッチ(生態学的地位)を用意すること。かつて日本の寺社が担っていた美のパトロンとしての役割を、今の日本は誰がどこで受け持っているのだろう。私たちに、それだけの覚悟があるか。


 一通り襖絵を拝見した後、再び孔雀の間に戻り、和ろうそくを灯した。西に傾いた太陽の残照が座敷に漏れ入り、それが次第に消えていく気配の中、炎はゆらゆらと揺れて応挙の画業を浮かび上がらせた。


 思えば、私は今回の旅の最初から心残りに導かれていたのではなかったか。前へと倒れ込むように暮らしている現代の日々の中で出会った、天上の気配を漂わせる孔雀。そこに至る山陰の旅の軌跡もまたゆかしく、魂が癒されるとは、すなわち、忘れていた大切なことを思い出して、ばらばらになっていた心のかけらがもう一度一つになることなのだと気付かされた。


 花を咲かせぬ長い季節に、桜はその黒々とした樹皮の下で次の春の準備をする。応挙の傑作はろうそくの炎で明々とよみがえり、私の中でばらばらになっていたうるわしきものの記憶を一つにしてくれた。



『脳で旅する日本のクオリア』(小学館)所収。