ジョン・ケージの「4分33秒」(4′33″)は、楽器を奏でずに演奏家が立つ、というそのフックを利用して、環境からのさまざまな音(自分の体内からの音)に耳を傾けるという体験アートで、絶対零度(4′33″=273″)との符合が面白い。ケージはハーバードの無音室を訪問してこの曲を構想した。


小津安二郎『東京物語』は神のような作品である。人間洞察の深さは至るところに。例えば、老父が旧友を訪ねて居酒屋で飲むシーン。いつもニコニコして穏やかな老父から、息子に対する思わぬ鋭い不満、批評が出てドキッとする。老父にそんな真情があることのショックと、それを笑顔で隠すやさしさと。


カール・マリア・フォン・ウェーバーの『魔弾の射手』は、ドイツオペラにとっては忘れがたい記念碑的作品で、ロマン主義の形ができた。ジングシュピーゲルで拙いところもあるけど、だからこそ愛着がある。ワグナーは幼い頃ウェーバーの姿を直接見ている。森の深さと、愛による救済。


小津安二郎の『秋刀魚の味』は、宴会のシーンが魅力的で、つい何度も見てしまう。天国には宴会があるに違いないと思う。宴会を離れて一人ひとりの人生に戻っていくと、しんみりする。宴会が晴れであり、花咲く時である。お酒や器の描かれ方に、無限の愛情がある。プラトンのイデアにつながる。


黒澤明は、並の映画監督ならば一生に一度とれるかどうかの名場面をコンスタントにつくれる人だった。『生きる』で、男が残りの人生を生きる意味を、うさぎの玩具で悟る場面は掛け値なしに素晴らしい。男が階段を駆け下りていくと「ハッピバースデー」が。パーティーをする女学生たちの偶然の一致。


(毎朝、ツイッターでつぶやいていることを5日分まとめてお送りします)