たとえある経験が統計的な意味では有意なものではなかったとしても、大切なのはその人がその経験をしたということである。例えば予知夢は統計的に有意ではないが、予知夢を見たと信じた人の心はそれにとらわれ、変わる。つまりこれは個別性の問題である。統計は個別性は扱えない。


Alpha Zeroによる、碁、将棋、チェスの完全制覇を見ても(人間のチャンピオンは闘ったら100連敗するだろう)、評価関数が定義できるものについてはAIが強い。人間の領域は、評価関数がそう簡単には定義できないところにある。たとえば芸術の美、感動。たとえば、人生の幸福。たとえば、愛。


チャールズ・ダーウィンは生涯公職につかなかった。田舎にある彼の家でフジツボやミミズの研究をしていた。近くの道をぐるぐると周りながら考えるのが習慣だったが、何周したかわかるように、石を置いておいて、通る度に一つ蹴って数えた。つまり、それくらい深い集中の中にあった。


ジェームズ・ジョイスの『ダブリン市民』は、あれほど完璧な短編集なのに、ずっと出版することができなかった。つまり、版元から断られるということは作品にとって致命的なことではなく、手元でいかに質を高められるかということの中に本質がある。創造者は皆『ダブリン市民』をお守りにすれば良い。


アインシュタインは量子力学のコペンハーゲン解釈に生涯反対した。その中で、1935年に発表したEPRパラドックスの論文で、結果として量子力学に潜在している非局所性を指摘した。反対する者の方がかえって本質が見える。悪魔の代理人の歴史的役割を果たした。量子力学の理解はまだ集結していない。


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