歩いたり走ったりお風呂に入ったりして、脳がアイドリングしている時に働くdefault mode networkを活性化させ、さまざまな記憶を整理したり、感情の歪みを解消しておくことはとても良いことだけれども、必ずしも意識的にそのことについて考えなくても良い。すべては無意識の配剤なのだ。


マインドフルネスは、自分自身の中を検索することに似ている。外部情報の検索エンジンはグーグルをはじめたくさんあるけれども、自分の中の情報は自分にしか検索できない。これまでの経験に、数多くの宝物が秘められている。ドットとドットを結ぶことで、宝物がさらに輝きを増す。


何かを続ける時のコツは、ベストエフォートで、途切れても良しとし、何回でも立ち上げ直すこと。完全主義者ほど、さぼったり途切れたりするともういいや、と思ってしまう。そうではなくて、100回やめてもまた100回始めること。さぼっても、多様性としてむしろ喜ぶこと。継続は多様性の中にある。


ゆったりと何もせず時間を過ごすことで起こることの一つは、人生の、忘れかけていた目標、夢が、まるで石炭がかっかと燃えるように灼熱してよみがえってくることで、だからこそ、オフの時間を持つことの意味がある。ひび割れた心の奥底から、ああ自分はこんなことを願っていたのだと湯水がわいてくる。


自我の中には「泥」のような、未分化の、くっきりとしない領域があり、そこが滋養となって、わかりやすい、機能的で、役に立つものたちが育まれる。だから、自我の中の「泥」を大切にしなければならない。現代的な意味で言えばdefault mode networkと関連するが、泥の所在自体は古来人間は感じていた。


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