ワシントンのナショナル・ギャラリーにふらふら歩いていって、好きなレオナルド・ダ・ヴィンチの絵と、フェルメールの絵(おそらく同じ女の人をモデルにしたと思われる、一つは赤い帽子をかぶった絵)を見た。
それから、ふらふら歩いてたら、「フェルメールとなんちゃら」の展示をやっているというので、ふらふら歩いていった。
特に入場料もなく、みんなすたすた入っている。
そうしたら、びっくりした。何と、そのコーナーに、フェルメールが10点もあったのだ!
天文学者、地理学者、手紙を読む人、首飾りの人、手芸をする人、あれもこれも。
贅沢というか、なんだか、心があふれてしまった。
フェルメールの描く人(女の人が多い)には、圧倒的な「個」がある。
ほんとうに、そんな人が、そこにいるような気がするのだ。
そして、その描かれている状況が、心の中の蝋が溶けて流れ出すような、そんな機微に満ちている。
他に並んでいる作家とは全く違う。
絵のサイズはそんなに大きくないのに、圧倒的な存在感がある。
常設と合わせて、11のフェルメールを一気に見てしまって、ぼくはもうそれだけでいい、という気持ちになった。