最近思うのだけれども、時代の様相というものはどんどん変わってしまって、似たようなモティーフがよみがえることもあるけれども、基本的に、二度と繰り返さない。
 しかも、見る人の立場によって、違った様相が映っていたりする。

 幕末の黒船が来た時の昂奮と喧噪、戦後の焼け野原、私が小学校4年の冬に見た浅間山荘事件の終末感。それぞれ、その時々の雰囲気があって、しかしもう二度と繰り返さない。

 最近のインターネットだって、登場した最初の雰囲気、2ちゃんねるが流行った頃(「電車男!」)、ツイッターブーム、インスタブーム、ユーチューバーの台頭。。。いろいろあったけど、その時の最大瞬間風速的な勢いとか光輝はやがて落ち着いた表情になり、別の何かが最先端になる。
 
 金属ナトリウムの表面のように常に更新され、新しくなっていくからこそ時代は進むのだろうし、そこに寂しさもある。

 また、時代は繰り返さないからこそ、過去を思うことの楽しさもあり、一方で、一つの時代がもう一つの時代を理解することも難しさもあるのだと思う。
 
 歴史に関しては、基本的に、誤解以外には何もない、ということが言えるのかもしれない。
 もっとも、同時代人だって、すべてを把握しているわけではないのだ。

(クオリア日記)


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