私は以前から教科書検定は廃止すべきだと主張している。

 その理由はいくつもあるけれども、もっとも大きなものの一つは「教科書の薄さ」である。
 日本の教科書は薄い。話にならないくらい薄い。あんなに少ない情報量で、一年の教科を回そう、という発想が信じられない。

 なぜ薄いのか。いろいろな原因があるだろうが、その一つは教科書検定にあると推定する。つまり、教科書検定官の情報処理能力には限界があり、100ページは処理できても10000ページは検定できない。すなわち、スケーラビリティがない。

 電子教科書になって、ネットなどの副教材もつかって、つまりは学びがオープンエンドになったら、そもそも教科書検定などは成立しない。「検定」という、国家がお墨付きを与える制度がいかに時代錯誤で、日本の子どもたちの学びをむしろ阻害しているかということは、まともな理性のあるひとが数秒考えればわかることだろう。

 以前、アメリカの高校の教室を訪れたとき、Scienceの教科書が分厚いのでうらやましいなあ、と思った。 
 もちろん、分厚いので、教科書は学校に置きっぱなしというのが基本で、家に持ち帰ったりしない。
 当然、アメリカには検定などない。
 自由と自発を重んじる国において、検定などそもそも発想にすら浮かばないだろう。

 日本の教科書の薄さは、そのまま、日本の教育観、学力観の時代錯誤の象徴である。

 文部科学省は、いったいいつまで、教科書検定という時代遅れの制度を続けて、日本の子どもたちののびしろを縮めるつもりなのだろうか。


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