百田尚樹さんの講演が中止になったことについてですが、ぼくは次のように考えます。
百田さんのご発言は拝見していますが、全体として偏見や事実誤認が多く、あまり参考にならないと個人的には感じています。

一方で、百田さんご自身は自分のご発言が「真実」だと信じていること、また、そのフォロワーの人たちがいることも把握しています。

一般に、人間がどのような信念を形成するかはその人の自由で、他人がとやかく言うべきことではありません。

問題は、今回の一橋大学の学園祭の実行委員会が、百田さんをお呼びになった理由です。

私は、大学は学問を通して人類の普遍的価値を追究する場だと考えています。

そのような趣旨からすると、実行委員会が今回百田さんを呼んだ理由は、私には理解できかねます。

百田さんのご発言が、人類の普遍的価値にかかわるとは、私には思えないからです。

今年のハーバードの卒業式ではマーク・ザッカーバーグさんが登場してベーシックインカムの話をされていましたが、このようなトークが、私が考える「人類の普遍的価値」に関わるトークです。

百田さんが普段言われていることが、人類をより良い場所につれていってくれるとは私には思えません。

百田さんを呼んだ時点で、実行委員会の人たちは何を考えていたのでしょう?

ツイッター上で見た記憶がありますが、「聴衆の動員が見込まれる」という理由もあったのかもしれません。

私も、もし一橋の新入生だったら、百田尚樹という話題の人を見に行こうか、くらいの気持ちで会場に行っていたかもしれません。

百田さんがご自身の信じることを発言されることは自由ですし、そのフォロワーの方々がその発言を支持されることも自由ですが、私自身は、大学にはそのような「話題の人物」を呼ぶ、ということ以外にやるべきことがたくさんあるのではないかと感じます。
また、さまざまな意見に接することは大事だ、という考えもあるようですが、私は、たとえ多様性を尊重するにしても、大学で探索すべき考えはもっと他の領域にあるのではないかと感じます。

百田さんは人間的には興味深い方なのかもしれませんが、そのお考えを、人類の普遍的価値を強靭なものにするために参照する必要性は、個人的には感じません。

ただ、一度呼ぶと決めてしまった以上、その後の対応はとても残念なものだったと思います。

そもそも、呼ぶという判断が妥当ではなかったというのが私の認識ですが、後に、その講演会を中止するというのは、結局、自分たちにさほどの定見も覚悟もなかったということを認める、ということを意味するのではないでしょうか。


この件に対する、change.orgのキャンペーンの文章にも、違和感を持ちました。



要求項目の3に、

「百田尚樹氏講演会「現代社会におけるマスコミのあり方」に関しては、百田氏が絶対に差別を行わない事を誓約したうえで、講演会冒頭でいままでの差別煽動を撤回し今後準公人として人種差別撤廃条約の精神を順守し差別を行わない旨を宣言する等の、特別の差別防止措置の徹底を求めます。同時にこの条件が満たされない場合、講演会を無期限延期あるいは中止にしてください。」

とありますが、私は、たとえその方の発言の趣旨に同意できない方でも、上のようなことを強制することにためらいを感じます。

たとえ、百田さんに上のようなことを強制できたとしても、それは百田さんの「本心」とは異なるだろうということは、容易に推測できることです。

発言はあくまでもその人の良心に従って自由にしていただく、という前提がなければ、そもそも講演会をする意味がないように思います。

全体として、今回の一連の騒動は、かかわった学生さんたちの見識や覚悟を疑わせるもので、残念でした。

百田尚樹さんのご発言には私はまったく賛同しませんし、私が実行委員ならばそもそも呼ばないと思いますが(他に話を聞くべき方はたくさんいるから)、もし呼ぶと決めたならば、その自分たちの判断に自信を持って貫いて欲しかったと思います。

誤解がないように最後につけくわえますが、ぼくは、学生さんたちの味方です。

今回のことをよい学びの材料として、充実した、すばらしい大学生活を送ることを、心から願っています。


fusenkirin